「もう、知らないっ!!」
高い音を立てて閉められたドアを見つめて、カヲルは吐息した。
何がそんなに気に触ったのだろう?
Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「I wish your happiness Ⅱ」
それは穏やかな土曜日の午後だった。
何が悪かったのだろうか?
キーボードの電源を落として、カヲルはソファに身を沈めた。
ゼミから帰ってきたレイは、カヲルが用意した昼食を摂りながら話をしていた。
浮かんだ旋律を楽譜に書き込みながら、カヲルはその話を聞いていた。
それ自体は何の変哲もない光景であったはずだ。話を聞きながら別のことをしていても、カヲルがレイの話をないがしろにすることはない。それはレイが一番よくわかっている筈だった。
レイが際限なく喋り続けるのへ、カヲルが時折相槌をいれるだけの会話。それは端から見ると、あるいは奇異な事であるのかもしれない。しかし、それが自分たちにとってごく自然なスタイルであることを二人は知っていた。
だから、突然怒り出した理由がカヲルには判らない。
何が気に触ったのだろうか?
ゼミで一緒になった人の話だった。名前は聞き落としたか、あるいはレイが喋ってないかのどちらかだ。
お茶に誘われたが、カヲルが食事を用意していることが判っていたので断ったという。それで、来週の日曜の映画に誘われたとか・・・・・・・。
日曜日?
はたと気づいて、立ち上がる。後ろの壁に貼ってある、カレンダーを目で追った。
「・・・・・・そうか・・・」
カヲルは頭をかいて天井を仰ぎ、ややあってソファに身を沈めた。
何度か腰を浮かしかけて、やめる。
そうしているうちに、投げ出したままのカヲルの足に温かいものが触れた。いつの間にか近寄ってきた子猫が、足に頭をすり寄せていたのだ。
両手で抱き上げる。
「・・・大きくなったね、君」
苦情混じりに言っても、子猫は知らぬ顔。実際、一曲弾く間ヴァイオリンを持ち続ける事のできなくなったカヲルの腕には、子猫はもう十分重かった。
膝に降ろすと、子猫はそのまま眠り込む。
しばらくそのまま子猫の頭を撫でていたが、ふと子猫を足元に降ろす。
安眠を妨げられた子猫が抗議の声を上げたが、降ってきたのは優しい声と手。
「・・・ごめん、一寸出てくるから」
何もあそこまでムキになることはなかったのかもしれない。
レイはオムライスを食べかけにして出てきたことをほんの少し後悔していた。カヲルのオムライスは、学食のそれとは比較にならない。・・・というより、カヲルの料理を食べつけたレイの舌は、学食のものなどとても受け付けないのである。
『レイもそろそろお兄さん離れしなくちゃ』
大抵弁当を持ち歩き、午前中で用がすむときはほとんど帰宅してから食事するレイは、友人にそう言われることもしばしばである。が、決してつきあいが悪いわけではなく、食事に関しては純粋に味覚の問題なのである。
今日声をかけてきた男の人も、どうやらその友人にけしかけられたらしい。
悪い人ではない。優しそうで、物腰も丁寧だ・・・。
――――――しかし、今回問題にしているのはそんなことではないのだ。
今度の日曜日。まさか、忘れているわけではないだろうけど・・・・。
『・・・・・・行っておいでよ。レイも見たがってたろう?』
カヲルがあんまりにも簡単に受け流したことが、レイには不満だった。・・・・・というより、不安だった。
「・・・・莫迦みたい」
それはレイ自身に向けられた言葉。一体自分は、何を期待していたというのだろう?
次の日曜。大切な日。それは、本来カヲルにとってだ。でも、レイにも関係ないことではなかった。・・・・・関係ないことにしてほしくなかった・・・・・・。
気がつくと、レイは公園のそばまで来ていた。
ここらを切り開いたときに緑地として残された場所を公園として解放しているのだが、平地をちょっとしたグラウンドにしつらえてある以外は、遊歩道沿いにきちんと草が刈ってある程度のものである。
ここの静けさをカヲルは好み、しばしば訪れるらしい・・・・。
だが今は、グラウンドで少年野球チームの練習が始まっており、活気に満ちた声が響いていた。練習試合でもあるのか、2種類のユニフォームの子供たちが忙しそうにグラウンド中を走り回っている。
レイは道を外れて芝生を滑り、グラウンドを臨む日当たりのよい斜面に腰をおろした。
仮設の得点板を立て、ベンチ代わりの椅子を並べ・・・・・
楽しそうな子供たち。レイが渚家にやってきたのは、この子供たちよりもさらに小さいときのことである。レイ自身の両親の記憶というのはほとんどなく、レイが持っている一番古い記憶が、渚家へ来たときのものなのだ。
『いらっしゃい、レイちゃん』
そう優しく言ってくれたのは、渚家の母であるはずだが、不思議とその時の記憶はない。
憶えているのは、自分と良く似た紅い瞳―――――――。
最初はカヲルにも「レイちゃん」と呼ばれていたような気がするが、いつの間にそれが「レイ」になったのか、よく憶えていない。
『今日からここが、君の家だよ』
そう言って、差しのべられた腕。
『・・・だって君は、僕の・・・・・・になるんだから』
綾波の両親は事故だと聞かされている。渚家とは遠い親戚筋であるが、それよりも友人としてのつきあいに近かったとも。だが、レイ自身はそういうことに今までほとんど頓着したことがなかった。・・・・そこにいるのがあまりにも自然で、拘る必要がなかったから。
「・・・・・・なんなのよ、私って」
妹、だと思っていた。そう扱われていると。自分も渚家の子供だと。実際渚の両親の存命中に、レイが不遇であったわけでは決してない。むしろ、盛大に甘やかされて育ったと思う。
・・・・・けれど・・・・。
気がつくと、試合が始まっていた。
子供たちの表情は見ていて飽きない。しかし、
「気楽でいいよね、子供は・・・・」
そんな台詞がつい口をついて出てきてしまいそうなほど、レイは拗ねた気分になっていた。
・・・・その時。
不意に頬に良く冷えた缶ジュースが触れて、レイは思わず飛び上がった。
しかし、こんなことをするのはひとりしかいない。
「びっくりするじゃない!!」
「はは、ごめんごめん」
レイがあまりにも勢いよく振り向いたので、カヲルはレイが頭を打たないように慌てて缶を引っ込めなければならなかった。
「・・・・・ありがと」
ばつが悪そうに、ジュースを受け取る。カヲルは自分にはちゃっかり缶ビールを用意していて、レイの隣に座ると缶を開けた。
「ねえレイ?」
「・・・・何」
これもやや俯き気味ながら、貰った缶を開けつつ、レイ。
「言葉が足りなかったよね・・・ごめん。母さんたちに会いに行くのは・・・・土曜日でもいいんじゃないのかな?」
カヲルの言葉に、レイは缶につけかけた唇を離してカヲルを見た。
「・・・カヲル・・・」
母さんたちに会いに。・・・・・それは墓参だ。そう、日曜はこれも事故で夭折した渚の両親の、命日。
「・・・・ひとりでなんか行かないよ。そんなことしたら母さんに叱られる」
あくまでも渚の両親のことだから。・・・・そんなことがある訳がないと思いながらも、そういう理由で隔てられることが怖かった。不安を言い当てられて、思わず顔が赤くなっているのを自覚したレイは、俯いて表情を隠す。
「・・・じゃ・・・・どうして?」
それだけ言うのにも、声が揺れていることを隠すのに多大な努力が必要だった。だが、カヲルは明らかに返答に困ったらしく、そのことに気づいた様子はなかった。
「・・・ごめん、おせっかいかもしれないけれど・・・それも一つの出会いなら、レイのためかと思ったんだ。母さんたちのことは・・・・大ざっぱな人たちだったからね、一日ぐらい早いのは気にしやしないだろうし」
「・・・え・・・・?」
レイは話が見えなくなってカヲルを見た。だがカヲルは、困ったように天を仰いでいるばかり。
「・・・・ごめん、本当におせっかいだね。でも、この間からずっと元気がないみたいだし・・・その、レイが平静でいられないのも判らないわけじゃないし・・・・・・・」
常にない歯切れの悪さに、レイはしばらくきょとんとしていた。だが、カヲルが言うところの「この間」の意味に思い当たったとき、レイはまた俯いていた。
「この間」。先月の、シンジとアスカの結婚式のことだ。
近年は半ばおもしろがって仲介を買って出たりもしていたが、そうなるまでにレイがたくさんの涙を流したことを、カヲルだけが知っている。
レイ自身が、気のおけない友人以上になれなかった寂しさを引きずっている訳では決してなかったが、カヲルはカヲルなりに気にかけていたのだ。
「・・・・・気のまわしすぎよ、莫迦」
おかげで莫迦みたいな心配しちゃった・・・とは、口が裂けても言えないあたりがレイだった。
「・・・・・・私がそんなこと、いつまでも気にしてる訳ないでしょ、莫迦」
「・・・・レイ・・・」
「・・・・・・だいたい、カヲルは一言たりないのよ、莫迦」
「そんなに莫迦莫迦言わなくったって・・・・・」
「莫迦莫迦莫迦莫迦莫迦莫迦・・・・」
抱えた膝に埋めた頬を、水滴が伝い落ちる。しまったと思った瞬間、暖かいものが肩にかけられた。
・・・・カヲルの、ジャケット。まだ、カヲルの体温が残っている・・・・・。
顔を上げると涙顔を見られるから、押し黙ってそのまま顔を伏せている。笑われたような気がして、レイはジャケットの下でむくれた。
「ごめんね・・・・」
「・・・・何?」
カヲルの言葉を聞き落とし、レイは聞き返した。だが、カヲルから返ってきたのは、先刻の言葉とは明らかに違っていた。
「・・・・ねえレイ、僕らもしようか。結婚式」
唐突な台詞に、思わず返答に詰まる。
「・・・・なに寝ぼけてんの」
かけて貰ったジャケットの下からもごもごと言ったのではサマにならないこと夥しいが、なるべくきつめの声でレイは言った。
「あれ、憶えてない? ・・・・約束したんだよ。レイと」
「いつの話よ!?」
「レイがうちに来た日だよ。大体、レイが来るとき、僕は”花嫁さんが来るよ”って聞かされてたんだから」
「嘘」
「本当」
「何で?」
「もともとそういう約束だったみたいだよ。・・・尤も、綾波の御両親の事故の件で、ちょっと事情がかわっちゃったけど」
「そんなの私、全然聞いてない」
「だから事情が変わったんだって。・・・親同士の口約束でレイの将来を縛るつもりもなかっただろうしね」
「・・・・私、約束したの?」
「うん、一応ね」
「・・・・でも・・・」
「・・・できないわけじゃないよ? もともと、籍は別だしね。人の目が煩かったら、二人でどこか遠い所へ行ってもいいし」
「遠いところ・・・・・?」
「うん。知ってる人の、誰もいないところ」
カヲルと二人だけのところ。誰も・・・・シンジも、そのとなりにいるひとも・・・・・だれもいないところ。
―――――――長い、沈黙があった。
「・・・・・ここが、このままがいい・・・・」
レイの言葉に、カヲルは莞爾としてジャケットごとレイを包み込んだ。
「じゃあ帰ろう、レイ」
どうにもはぐらかされたような話の運びに、レイはおもわずジャケットを少しだけずらしてカヲルを見た。
そこにあるのは、変わらないカヲルの微笑。そして、カヲルが至極自然に立ち上がって、レイの手を取った。
「ほら」
「う、うん・・・・」
飛び出したときの意地もなし崩しに、レイは立ち上がった。グラウンドには既に人影がなく、周囲に街灯が灯りつつあった。
「夕食、なにがいい?」
「・・・私・・・オムライス、食べかけ・・・・」
自分でも間抜けだと思ったが、つい口を突いて出た台詞。カヲルが急に立ち止まる。
「ごめん、レイ!」
あまりにも急だったから、俯いたまま歩いていたレイがカヲルの背に鼻をぶつける。
「何!?」
「あの子たち、そのままにしてきちゃったよ。今ごろ・・・・」
あの子たち、というのは、言うまでもなく同居者達のことである。テーブルの上に上がるな、という躾はしてあるが、番をする者もなく食べ物のある皿と一緒に取り残されたら、破るのは容易な禁戒であるにちがいない。
「あちゃぁ・・・・・・」
カヲルが眉間を押さえて暮れかけた空を仰ぐ。
「ごめん・・・お皿、私が洗う」
「いいよ、僕がうっかりしてたんだから・・・」
再び俯いたレイの肩を、カヲルがやおら引き寄せた。バランスを崩しそうになり、カヲルを睨む。しかし、次の一言で思わず目を丸くしてしまった。
「・・・・とりあえず、レイがいやならキャンセルすればいいよ。そうじゃないなら伸ばして貰えば?」
―――――――――相変わらず唐突な上に一言足りないが、言いたい所は判る。
「・・・・・うん・・・」
自分がどうしたいのか、わからない。
でもいまこの距離が心地好い。
だから、このままがいい・・・・・・。
心地好い沈黙のなかで、家路を辿る。
「カヲル、夕食ね、シチュー食べたい」
「了解、お姫様」
優しい手が、水色がかった銀の髪に触れた。
後書き、らしいもの
そういう訳で10000Hit記念!あんど謝恩Novelでした。
タイトルの元ネタが分かった方、あなたは偉い!!
はい、ご想像の通り。また趣味に走りました。アルバム「Re-Born」より。
ついに狂ったか柳!と言われかねないベタ甘SSになってしまいました。しかもこれをHit記念にやってしまうあたりが既に救いがたいですね。
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