「・・・・・・・本当にいいのかな・・・・・」
「え、何が?」
リビングルームそのものはきちんと整頓されているが、その一郭にはモニタやらHDやらディスクドライブやら、果ては音源装置やMIDIキーボードやらが雑多なコードにまみれて鎮座している。
その只中に座し、ヘッドフォンをつけた耳に手を添えるようにして音源装置からの音を聞いていた家主が振りかえった。横着な客はクッションとラグを占領して寝転がり、天井を見つめている。
「なんだい、まったく・・・・・」
ヘッドフォンを外して吐息する。
「大体、こんないいお天気の休日に、いい若い者が部屋にこもってゴロゴロってのは不健康きわまるよ? 少しは外に出て、お日様にあたっといで」
まるで子供をたしなめるような物言いに、カヲルが少しむっとしたように家主を睨んだ。・・・・相変わらず寝っ転がったままでは迫力のないこと夥しいが。
「・・・・タカミだって朝からこもりっぱなしの癖に」
「僕はお仕事だから仕方ないの。週明けまでにデモのファイル作っとかないと恐ぁいディレクターにオコられるんだから」
「・・・・相変わらずがけっぷち仕事してるなぁ」
「古今東西、宿題ってのは締切り前が一番能率が上がるって相場が決まってるものだよ。・・・で、その一番能率の上がる時にいきなり転がり込んで禅問答ふっかけるってのは、一体全体どういう了見だい?」
口調は怒ってはいない。むしろ、面白がっているのが如実にわかるだけに、カヲルとしてはむくれたまま年若い叔父の人畜無害な微笑を睨みかえすしかなった。
Senryu-tei Syunsyo’s Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「I wish your happiness Ⅶ」
今年のカレンダーも残り一枚。暖かい冬と言われながらこの数日は急に冷え込み、積雪の噂も聞こえていた。ただ、天気は上々で陽当たりのよい部屋は暖房を切っても暖かさを保っていた。
コンピュータの開発に携わっているかと思えば、音楽ユニットに参加してキーボードをひいている事もあり、グラフィックデザインを手がけていると聞いた数日後には、鳥の声を採録しにふいっと海外へいってしまう。これで家庭持ちなのが常々不思議で仕方ないが、早世した母の弟にあたる人物であるので、カヲルからすると叔父にあたる。
もともとかなり歳の離れた姉弟であったらしいが、結構いい歳になっている筈なのにカヲルとさほど離れていないように見えるから詐欺である。
「大体、レイちゃんはどうしたんだい。君がオフのときにレイちゃんがいないなんて、珍しいじゃないか」
「めでたく卒論が通って卒業旅行。今度の休みはイレギュラーで、レイが出発した後に判った」
「それでヒマを持て余してると」
「そういうわけでもないけど・・・・」
「・・・・素直じゃないねえ。で、もう指輪くらい買ったのかい?」
ごと。重い音がした。クッションから頭が滑り落ちたらしい。
「・・・・・・・・な・・・なななんの指輪だよ!?」
「あー、痛そうな音。大丈夫かい? おまけにまあ無残なくらいどもっちゃって」
「タカミが変なこというから・・・・!」
「あれ? レイちゃんが卒業するまでには答えを出すって言ってなかった?」
「あれは・・・・」
「あのじーさんのことだ、どのみち、あの手この手で決心せまってくるんだから・・・・・早いうちに肚くくっちゃえば?」
至極あっさりとじいさん呼ばわりであるが、指揮者としてその名を知られたキール・ローレンツ、カヲルの祖父のことである。両親を失ったカヲル達を遠くからバックアップしてきた人物だが、多少お節介なのが頂けない。
「その『あの手この手』のなかの一人の癖して・・・」
「そりゃ僕だって、カヲル君とレイちゃんの幸せを願ってるからね」
「『幸せ』、か・・・・」
「なんだいなんだい、小難しい顔して」
カヲルはしばらくこざっぱりしたクロスで張られた天井に視線を泳がせていたが、ふと、それを定めぬままに問うた。
「タカミは今、『幸せ』?」
思わぬところに話が転がって、流石に返答に困る。
「・・・・・これはまた藪から棒だね」
まぜっかえしたつもりだが、カヲルは頓着せずに返答を待っている。
深くため息をついて頭を掻き、10数秒ばかりこれも天井を仰いで思案した後、素朴な質問の答えを待つ小学生のような表情でこちらを見上げているカヲルに向き直った。
「あのね、カヲル君。どーしても、身の毛のよだつような他人様ののろけ話なんか聞きたいかい?」
「・・・・別に」
言わんとするところに気づいたか、カヲルが面白くなさそうにまた寝転がってしまう。
「不安に思った事とか、ないの?」
「自慢じゃないけど僕は、Yesの返事を貰った一瞬で神様を信じたよ。不安のはいりこむ余地はなかったなあ」
「・・・・・・・シンプルなんだから・・・」
「そこでいかにもつまらなそーに言わないように」
苦笑して、マウスに手を伸ばした。とりあえず進みそうにない仕事のファイルを保存して、OSを終了させる。
「・・・・買い物があるんで出かけるけど、一緒に行くかい?」
世間並の家庭とはいうまい。
両親をなくしたレイが、渚家へきたのはまだレイが両親の顔も覚えていない頃。だがそれから10年と経たない内に、カヲルの両親も飛行機事故で早世した。
他にも選択肢はあったのかもしれないが、二人は家にとどまることを望んだ。祖父キールが遠隔地ながら面倒をみてくれたこと、両親と同じ事故で九死に一生を得たタカミが、些か頼りないながらも保護者を買って出たことが、子供の二人暮らしを可能にした。
だがそのカヲル自身、これも事故でヴァイオリンを失っている。
見る人によってはひどく不幸に見えるのかもしれない。事実、事故の後遺障害でヴァイオリンをひけなくなったとわかった時には、それなりに落ちこみもした。
しかし演奏者としてではなく、作曲者として再出発して、なんとか軌道にのった。そして気がついたら、レイが来春には大学を卒業する。
実際にはカヲル一人の収入で賄っていたわけでは決してないのだが、自分が面倒を見てきたつもりのカヲルとしては、なんとなくほっと息をついてしまう。
・・・・そんなところへ、この夏の話である。祖父キールが、急に古い「約束」を思い出したように持ち出したのだ。
「約束」・・・・いたって無責任な、親同士の約束事。
レイが渚家に引き取られる事になった時点で事情は変わったが、レイがくる前、カヲルは母親から「花嫁さんがくるのよ」と聞かされていたのである。
カヲルでさえ記憶があやふやな歳である。レイが覚えているわけもない。
――――――――― けれど・・・・・・。
街はクリスマス一色に染まっている。
軽快なクリスマスソングが流れ、色とりどりのモールが揺れる。ショーウインドウの中では、随所でサンタクロースの人形やトナカイのぬいぐるみが笑っていた。
ショッピング街のうち、一番大きな通りである。人々の顔は笑いで溢れ、その両手は買物袋や包みで塞がっていた。
雑貨屋の店先を素見しながらその人波を流れていく。時節柄、プレゼント向けと思しきものが所狭しと並んでいた。そんな中でタカミがじゃれあう子猫を象ったペーパーウェイトを嬉しそうに物色している。
「買い物って、それ?」
「まあね。時節柄♪」
「・・・・・タカミん家に際限なく猫グッズが増殖する理由の一端がみえたな・・・・・」
「カヲル君のところみたいに、本当に猫が飼えるといいんだけどね。いつ家が空になるかわからないし」
結局、3匹の猫がじゃれあう意匠のものを選ぶ。ラッピングしてもらう間、所在なげに辺りの小物を見ているカヲルに、タカミが少し悪戯っぽく問うた。
「カヲル君はいいのかい?・・・あ、お店が違うか」
絶対、わざとだ。そうは思ったが、今度は睨み返しもせずにそのままサンタの衣装をまとった猫のオルゴールに視線を落としていた。
澄んだ音が奏でるクリスマスソング。レイが来た冬には、同じ曲を母がピアノで奏でた。あれから、何度クリスマスがきたんだっけ・・・・・・・・
思わず吐息したところを、背後から軽く肩を叩かれて我に返る。ラッピングされた小箱の入った袋を提げて、タカミが言った。
「時間とって悪かったね。出ようか」
ショッピング街の中央には広場があり、小さな噴水が設えてある。冬場には水は止められ、水盤には鉢物の花が置かれる。クリスマス商戦真っ盛りを反映してか、今日はポインセチアやデンマークカクタスが鮮やかな色を並べていた。
それを囲む腰の高さほどのフェンスに凭れ、行き交う人々の波を漫然と見ながら自販機で買ったホットコーヒーを啜る。
「またソフトの仕事?」
それが今朝中断した仕事の中身を聞いているのだと気づいて、タカミは笑った。
「今回はどっちかっていうと作曲だね。ま、カヲル君ほど売れっ子じゃないからギャラ安いけど」
「またそうやってまぜっかえす・・・・。大体、タカミが贅沢なんだって。作曲から、作詞、イラストレーション、演奏して挙句はプログラムまで。欲張りすぎだよ」
「まあ、僕の場合どれかひとつに絞っても大成しそうにないし、それならやりたいことなんでもやった方がおもしろいじゃない・・・まあそういう話はさておいて・・・・」
「な、なに?」
「そう身構えなさんな・・・・・僕だって始終人を驚かして喜んでる訳じゃないって」
「説得力、ない・・・」(<「Snow Waltz」参)
そう呟いて横目で睨んでみせる。だが、タカミが動じるわけもない。柔らかく笑んで、静かに問う。
「・・・・・変わってゆく事が、怖いかい?」
いつもと同じに、何気なく発せられる言葉にはっと胸を衝かれ・・・・瞬間、呼吸を停めた。
「『現在のままで十分幸せだから、あえて状況を変えたくない』?」
穏やかな緑瞳を見上げる。タカミは笑っていた。
「・・・・ま、そんなトコだろうと思ってたよ」
「可笑しい?」
「いや、全然。カヲル君の思うことも至極もっともだと思うよ」
「そこで笑いながら言われると賛同されたような気にならない」
「笑ったような造りは元からだってば。とりあえず、胸の中で滞ってるモノを洗いざらい吐き出してごらん。少しは考えがまとまると思うよ」
「吐き出すったって・・・・」
少しむくれたように、カヲルは呟いて目を伏せた。
―――――――現在のままで十分幸せだから、敢えて状況を変えたくない。
あまりにも的を得ていて、思わず一瞬絶句してしまった。
実際、何に急かされるわけでもない。このままでいようと思えば、それも可能かもしれない。
『・・・・・ここが、このままがいい・・・・』
レイはそう言った。カヲルもそう思う・・・・・・。そしてレイがまだ学生だということが、その言い訳に正当性を与えていた。この夏、祖父から訊ねられた時も、結局それを理由にしたのだ。
だが来年の春にはレイが卒業する。それは、猶予期間の終わりであった。
レイが覚えていられないほど、はるか昔の約束。カヲルも、然程真剣に考えていたわけではなかった。・・・・・・多分、シンジとアスカが結婚する頃までは。
かすかな痛みを抱いたまま、ひとつの成就と、ひとつの終わりを距離を置いて見守っていた。痛みの正体に気づいたのは、わりに最近の事だったが。
しかし、どうしていいかわからない。自分の気持ちさえもわからない。
「・・・・・・答えはひとつしかないって、わかってるのに・・・・・・」
呟いて、いつの間にか曇ってきた空を仰ぐ。
ずっといっしょにいて、それでもレイの言葉の意味を汲みそこねている自分が可笑しくなる。
「『不安』?」
「だって、レイにしてみたら降ってわいたような話だよ?」
「そりゃそうかもしれないけど、レイちゃんにきいてみなけりゃ何も始まらないよ?」
「・・・・それが出来たらこんなに悩まないよ」
「優柔不断だねえ」
「・・・・・タカミに言われたくない・・・」
「ったく、口の減らないのは一体誰に似たんだろうなぁ・・・。まあ、それはそれとして、カヲル君自身はどうなのさ。レイちゃんの気持ちも勿論大事だけど、何か他に躊躇ってる理由があるね?」
「・・・・・・・!」
カヲルは言葉を奪われて黙り込んだ。つくづく、普通な表情でおそろしく鋭い指摘をする。・・・・しばらく、呼吸すら詰めていたが、深く吐息して呟く。
「・・・・・・・本当にいいのかな・・・・・」
「・・・っていうと?」
「僕でいいのかな。僕に、レイを幸せにしてあげる事が出来るのかな・・・・・・」
レイはシンジを想っていた。・・・・・でも、その想いは叶えられることはなかった・・・・・・・。
言ってしまってから、気分が余計に落ちこむのをカヲルは自覚した。だが、数秒を置かずに軽い声がその沈滞をぶち壊す。
「やだなぁカヲル君。そんなの、出来るわけないよ」
「タカミ・・・・」
「あのね、カヲル君。幸せって、作って誰かに渡すことが出来るもんじゃないよ。・・・誰かと、一緒につくってくのが本当じゃないかな。与えられる幸福なんて、あったとしてもまやかしだよ。そんなものを、レイちゃんが望むと思うかい?」
説教くさい口調とは縁遠いが、それは確かに強く響いた。
「・・・・・訊いてごらんよ。カヲル君の気持ちが決まってるなら、あとはレイちゃんの問題。でも、カヲル君がそんなにはっきりしないんじゃ、レイちゃんも何を信じていいのかわからないよ?」
「・・・・ずっと、態度を保留してたのは僕だっけ・・・・」
タカミが莞爾として、カヲルの銀髪をぽんとはたいた。
「大体、今更自分の気持ちがわからないなんて言わせないよ。ついこの間のことを忘れたわけじゃないよね?」
それが、カヲルの作曲した曲を集めたCDの発売日の顛末を指していると気づいて、カヲルの白い頬が少しだけ紅くなる。
「・・・・・・周到なんだから・・・・・」
「伏線としてはいい時期だと思ったんだよ。レイちゃんも無事卒業できそうだし、今年のクリスマスほど相応しい季節はないなって♪」
もはや、絶句して天を仰ぐよりなかった。
暮れかけた空にため息を逃がして、カヲルが背筋を伸ばす。
「・・・・・・買い物、行ってくるよ」
「はいはい。悪いけど、僕はこの辺りで失礼するよ」
「うん・・・タカミ、ありがと」
そう言って、歩き出す。ついに降りはじめた雪の中、雑踏の中へ消える銀の髪を見送って、タカミは微笑んだ。
「・・・クリスマスの精霊のご加護がありますように・・・・・」
だが、そう呟いて自分も家路を辿ろうとした時、不意に後ろから襟首を掴まれて体勢を崩す。
「よっ、名カウンセラー! で?デモファイルあがったの?」
そんな科白と共に往来でひとの襟首を掴むような人物は、知る限りでは一人しかいない。
「か、葛城さんっ!」
「ご名答♪・・・・・・でも、ひとりじゃないわよ」
からからと笑う葛城ミサトの両腕にはデパートの紙袋がこれでもかとかかっている・・・・その隣には。
「リツコさん・・・・お仕事、昼までだっけ?」
さりげに小箱の入った袋を死角へいれるタカミ。こちらはショルダーバックひとつと軽装のリツコは、その動作に気づいている。
「どう?カヲル君、踏ん切りつきそうなの?」
興味深深といったていのミサト。
「さて・・・・精霊のご加護次第ってトコじゃないかな。それにしても、ああしてみると可愛いもんだね。あれだけのことで真剣きって悩んじゃうんだから」
「何言ってんの。榊君だって同じようなことでうだうだ、それも海越えてN.Y.まで行ってやったらしいじゃない」
タカミの顔がにわかに余裕を失う。
「かっ、葛城さん!それをなんで・・・・」
「聞いたのよ、高階君から。二次会んときだったかな」
けろりとして言い放たれ、タカミは頭を抱えた。
「・・・あのお喋り・・・・」
「まあ、それはそれとして・・・・榊君?」
「はい?」
「締切り、伸ばした方がいいみたいねぇ」
「わぁっ、ごめんなさいごめんなさいっ!」
『恐ぁいディレクター』こと葛城ミサトの一声に、タカミはひたすら謝り倒す。そんな様子を、リツコがくすくす笑いながら見て言った。
「クリスマスの精霊のご加護が必要な人が、もう一人いるみたいね?」
雑踏のノイズに紛れ、楽しげなキャロルが聞こえてきた。
Merry Christmas!!
後書き、らしいもの
おかげさまで35000Hit!
ということで、恒例のHit記念&謝恩Novelでした。大変遅れまして申し訳ありません。遅れた上にこれかいっ!というお言葉もごもっとも・・・あ、あぁっ投石はご勘弁。
主役がシンジ君なら加持氏に振られる筈の役どころが、カヲル君だとこうなります。実に動かしやすいキャラクターなものでつい出張るのですが、実はとことんバイプレイヤーな榊タカミ氏。お節介と紙一重の面倒見の良さですね。(<祖父さんの血かい?)
今回はプロポーズ前夜篇。結局、タカミ君を筆頭として年長組によってたかって可愛がられてる二人という構図ですね。さて、カヲル君のプロポーズの行方は?
タイトルはやはり池田聡氏の曲から、アルバム「WISH」の2曲目。転げまわって悩んだ挙句、結局これに落ちつきました。別にこのままでも構いやしないのだけれど、この愛にカタチを与えたい。そんなカヲル君にぴったり・・・かどーかは判りません。どうにもうちのカヲル君、状況に甘えすぎてて優柔不断ですし。
ともかくも、ご笑覧いただければ幸い。ご意見・ご感想をお待ちしております。
1999,12,24