Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「Promised Night」
そこは昔、ここにもっとたくさん人家があった頃の、小学校の建物なのだと言う。とうの昔に廃校となり、現在は場所を生かして林間学校の事務所に使われているということだった。
「もっとも今時、こんな道の悪いところまで来ようって団体もあまりないらしいけどね。ようこそ。歓迎します」
場違いな印象を受けたのは何もシンジばかりではなかった。
音楽部の一行を宿舎の前で出迎えたのは、銀髪と紅瞳、そして夢幻的な美貌の少年だったのだ。
「渚 カヲルと言います。一週間よろしく」
約束の刻とき
Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「Promised Night」
第一夜
碇シンジが父のもとに引き取られたのは、ほんの4カ月ばかり前の話である。
シンジが第二東京市にいる父の知人の家に預けられたのは、母の死に伴い研究で多忙な父一人で彼を育てることが困難だったからだと聞かされていた。
この春、どういうわけか突然に引き取るという話が出てきた時、シンジは別に特別な感慨を持てなかった。強いて言えば、何故今更・・・・という漠然とした疑問を抱いた程度だ。
第三東京市の<自宅>へ着いて、これから一緒に暮らす遠縁の子だという少女に引き合わされた時も同様だった。ただ事故で家族を失ったと聞いて、じゃあこれからは兄妹だね、といささか陳腐な言葉で慰めを試みたのは、引っ込み思案なシンジにしては特筆に値する出来事だったと言えよう。
彼女は、不思議そうにシンジを見つめていた。
シンジ自身も驚いていた――――――――――。
四月初頭、シンジは第三東京市立第一中学校へ転入した。
偶然にも、彼女と同じクラスになった。
その月の半ば、部活はと聞かれ以前からやっていたチェロを続けるために音楽部へ入った。
そこで初めて、彼女がビオラを弾くと知った。
二人の間には会話が乏しかった。それは、双方に責のあることであった。しかし少なくともシンジは、彼女を家族として気にかけていた。
だが、彼女はいまだにシンジを「碇君」と呼ぶ。
シンジもまた、彼女を「綾波」としか呼べなかった。
綾波レイ。それが、水色がかった銀の髪と紅瞳の少女の名前だった。
そこはまさに、人外魔境とでも言うべき立地条件だった。
音楽部の強化合宿だから、朝晩となく楽器を演奏するわけで・・・・周囲の迷惑を考えたら、確かにこれ以上の環境はないだろう。国道をはずれてから30分と走っていなかった筈だが、人家は絶え、道は細くなり、ついには遭難かと一行が青くなる寸前でそこは見つかった。
「うっわー!信じらんない!! 木造校舎よ、これ!?」
古風な玄関の柱に触れ、音楽部顧問の葛城ミサトが声を高くした。
「なんでも校舎自体は二次大戦以前のものらしいですよ。無論、修復とか増築とかはしてるっていう事ですけど」
明かりをつけて回りながら、渚カヲルと名乗った少年が言った。
「・・・おいケンスケ、二次大戦ゆうたら第二次世界大戦のことやろ。それって100年以上前なんと違うか」
恐々天井を見上げているのは鈴原トウジ。
「・・・・・・厳密には100年近く、ってとこだね。零式艦上戦闘機華やかなりし頃ってことか・・・」
「ちょっと鈴原!ぼさっとしてないで荷物降ろすの手伝ってよ!!」
「んもうヒカリったら! そんなもん男共に任しとけばいいのに」
「ごめんなさい、冷蔵庫・・・調理室はどっちかしら?」
「おーいこのバッグ、誰んだぁ~~!?」
つい先刻まで、黄昏の中で廃屋と見紛うような雰囲気を醸していた校舎は、明かりがついたのと相まってにわかに賑やかになる。
とりあえず荷物を畳のある旧家庭科室に集め、食料を調理室に運んでしまってから集合する。
この合宿は音楽部恒例のもので、一週間の泊まりがけである。そのため一応希望参加ではあるが、OBの参加もあるため毎年大所帯になる。
しかし今年は参加予定だった一年生が急病で欠席したため、メンバーは全員が二年生となった。ヴァイオリンの惣流アスカ、相田ケンスケ、ビオラの洞木ヒカリ、綾波レイ、チェロの碇シンジ、およびコントラバス担当の鈴原トウジの6名である。
今年は青葉シゲル、日向マコト、伊吹マヤの3名のOB参加があった。それに顧問の葛城ミサトが加わり、明日から救護の名目でミサトの友人、そして嘱託医の赤木リツコが加わることになっている。総計11名。それにしても結構な人数ではあった。
「はい、申し込みの確認書。それにしても、管理の人は?」
ミサトは書類をカヲルに渡しながら、不思議そうに言った。一応公営施設だから、シーズン中はちゃんと管理員が常駐しているはずだ。まさかこの少年、というわけではあるまい。
「それが、数日前から体調を崩してしまって・・・。場所が場所だから急に補充もきかないでしょう。だから、僕が代わりに引き受けたんです。こう見えて、このあたりは詳しいですから」
「そうなの、大変ねえ」
「そんなことありませんよ。皆さん、音楽部なんだそうですね。演奏が聴けると思って、楽しみにして来たんです」
書類を受け取り、確認した後に天使のような微笑みでそう言われ、一同思わずうっと固まってしまった。苦笑いするミサト。
「ま、あんまり過剰な期待かけないでやって頂戴ね。ウチの部員、一部を除いておそろしくプレッシャーに弱いから・・・」
「楽しみにしてます。・・・と、寝むときはどうされます?」
「もとは教室なんでしょ?別にみんな一緒でも・・・・と、それはさすがにマズイか」
「あったりまえよ!! 昔っから男女七歳にして同衾せずってゆーでしょ!?」
自信満々に、”一部”の筆頭が胸を張る。またか・・・と吐息して俯く者、数名。このテの間違いには慣れているつもりでも、さすがにこれは破壊力があった。気の毒過ぎて注意する気にもなれない。
「・・・それを言うなら、”席を同じうせず”、よ」
淡々と指摘した者が誰だったか、この際記すまでもあるまい。彼女にはそういうところがあった。彼女の言葉はあまりにも正論過ぎて、周囲に二の句をつがせないのだ。
感情の起伏が少なく、傍目にはすまし屋ともとられかねない雰囲気が、それに拍車をかけていた。・・・本人、まったく悪気はないのだが。
「おっ・・・同じようなもんじゃないの!」
「そう?」
怒髪衝天、いまにも掴みかからんとするアスカをヒカリが必死にひきとめる。それを見ない振りで、ミサトが続けた。
「男女一部屋ずつってことで、お願いするわ」
「じゃあ、夕食を作られる方には調理室へ行っていただいて、あとの方は一緒に来てくれませんか。畳を敷いておいた方が良いと思うので・・・」
彼は、涼やかに笑んでそう言った。
「すっごいわねー。ここまでくれば一種の文化財よ?」
木造校舎など、現代中学生はおろかミサトでさえ昔語りのなかの代物である。ミサトを除く女性陣が調理場へ行った後、残りは階段を上がって教室のある2階へ上がっていた。
階段を上がりきったところに、壁に硝子の陳列棚があった。シンジが覗き込むと、中には草木の標本が入っているようだった。
「昔は、子供たちの工作を並べてたんだって」
シンジの興味の対象に気づいたか、カヲルが補足する。
「渚君、詳しいんだね」
「カヲルでいいよ、碇シンジ君」
そう言って、微笑う。
「・・・・!?」
シンジは一瞬自分が名乗ったかどうかについて記憶を辿ろうとした時、向こうからミサトが彼を呼んだ。
「ねー、鍵かかってるわよー?」
「あ、すみません。これが鍵です!」
あっさりと彼が踵を返してしまったことで、シンジはそれについて考えるチャンスを逸してしまった。ただ、不思議な感覚だけが残る。以前、どこかで逢ったことがあるだろうか?
きゅるきゅるという、古風な音を立てて戸が開いた。
「へー、わりときれいだな」
「5人ずつなら、前半分だけ敷いたらいいと思います。畳はこっちに」
てきぱきと説明をするカヲルを、シンジはなんとはなしに見つめていた。色の淡い髪と瞳は北欧の血でもはいっているのだろうか。初対面の印象が、同居する少女のそれと同様であったことを、シンジはゆっくりと思い出していた。
二つの教室に畳を敷き、畳の上を軽く水拭きし終わるころには、階下からおいしそうな匂いが流れてきていた。
「君も一緒に食べるでしょ?」
ミサトときたら決定事項の確認をしているかのような口調である。一歩間違えば押しつけがましくも聞こえてしまう台詞。しかしカヲルは嬉しそうに微笑んだ。
「では、お言葉に甘えて」
校舎と渡り廊下でつながれた調理室は、講堂と隣り合わせになっている。講堂が現在は食堂にあてられていた。
彼は別にここの生まれではなく、ここの谷一つ向こうの療養所に長く居たのだという。元来の色の白さを差し引いても、彼の肌の色はそれを十分に裏付けているように見えた。
「まっさか、その療養所から抜け出してきてる訳?」
アスカが訝しげに言うと、彼は笑った。
「まさか。もう退院してますよ。でも、ここには時々遊びにくるんです。街中では見られないものがいろいろとありますからね。そう、たとえば・・・・皆さんは本物の蛍を見たことがあります?」
「あるわけないでしょ!」と、アスカ。
「まさか、ここで見られるの?」
マヤやヒカリが目を輝かせる。
「今日はもうお疲れでしょうから、明日にでも。綺麗ですよ」
歓声が上がる。その中で、レイの目だけがいつものように冷静だった。
カヲルもそれに気づいていた。
気づいていながら、何ともないふうでにこやかに会話を続けているのだ―――――――――。
その夜は荷物を整理して、スケジュール確認をすると就寝となった。
中学2年、生意気盛りの悪童が大人しく就寝時間でぱったり眠れるものとも思えなかったが、さすがに旅疲れがあってか明かりを消して30分もするともう起きているものはいなくなった。
ただひとり、シンジを除いて。
疲れていないわけではなかったが、あの不思議な少年のことを考えていて何となく寝そびれていた。
寝返りをうち、窓の方を向くと、カーテンの隙間から柔らかな光が差し込んでいた。
そういえば、満月だっただろうか。
不意に、高く澄んだ音。それは決して耳障りな音ではなかったが、シンジは思わず飛び起きた。
ピアノの音だ。
そういえば、2階の東端は音楽室だと聞いた。ピアノがまだ置いてあるのだろうか?
何処から聞こえてくるともはっきりしないその旋律に、シンジは注意を向けた。
バッハの、オルガン曲だ。BWV622・・・。
曲の名前を思い出そうとして、シンジは思わず呼吸を詰めた。
足音だ。
廊下側はすりガラスになっているため、カーテンはひかれていなかった。だから、ガラスにぼんやりと廊下を歩く者の姿が映って見える。
『綾波!?』
すりガラス越しにも、その水色の髪ははっきりと判る。
『こんな時間に、何処へ?』
その教室には、遺棄寸前の木造校舎には不似合いと思えるグランドピアノがあった。
そのピアノを弾く白い指は、カヲルという少年のものだった。
黒光りするピアノと、銀色の髪が月明かりの中で浮かび上がる様は、いっそ神々しくさえある。
教室の中には、彼を含めて16の気配があった。
皆、彼のピアノに聴き入っているようだった。
BWV622・・・「おお人よ、汝の罪の大なるを嘆け」。
不意に、音もなくその教室の戸が滑る。
そこには、レイが立っていた。
カヲルの指が止まり、紅瞳がゆっくりと開く。
「よく来たね」
立ち上がり、手を差し伸べた。それに導かれるようにして、レイは教室に足を踏み入れた。
15の気配が、音でも声でもなくどよめく。
「・・・・・待っていたよ・・・・・」
月を背に立つ少年に、レイは躊躇う様子もなく近づいていった。
半歩の距離に立ち、あどけない表情で自分と同じ紅瞳を見上げる。彼は優しく微笑み、レイを優しく抱き寄せると、その額に口づけた。
「おかえり、レイ」
カヲルの言葉に、伏せがちな瞳が今までとはまったく異なった輝きを放つ。
口許には、彼と同じ笑みが浮かんでいた。
レイはカヲルの背に腕を回し、その胸に頬を寄せた――――――。
「・・・・・ただいま」
「約束の刻は来た。さあ、儀式を始めよう」
彼が厳かに宣すると、15の気配が再びどよめいた。