Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「Promised Night」
「もう始めてしまったのかい?仕方ないね」
ピアノを弾く指を止めてカヲルが言った。
「はは・・・ごめん、つい、ね」
悪びれるでなく、白い少年が頭をかいて見せる。
「サキエルは詰めが甘いのよ」
低く、落ち着いた声が天井から降ってきた。天井板がはがれるかのように、天井から逆様にぶらさがった少女の姿が浮かび上がる。その腰から下と、手首から先はまだ天井を覆う闇と同化していた。
白い肌と、紅の瞳は同じだが、その髪は闇色。否、色がないのだ。闇に溶け込み、闇の色を映している・・・・・。
「まあいいさ。頼むよ、予定より少し早かったけど」
「マトリエルと、ラミエルはどこ? 手伝えと言っておいて」
「判った。声をかけておこう」
カヲルの返事を待たず、闇色の髪の少女は天井の闇へ溶け込んで消えた。
約束の刻とき
Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「Promised Night」
第三夜
昨夜もまた、ピアノの音を聞いた・・・・。
早朝の青い空気の中で微睡みながら、シンジはそんなことを考えていた。
今日はそれに、雨の音がかぶさっている・・・・・。
「相田君がいない?」
教師の目をかすめて単独行動に走ることが多いケンスケのことでも、さすがに一晩戻らないとあってはただごとではない。さすがにミサトも青ざめた。
「昨夜、教室までは一緒だったんですが・・・あれからまた河原へ行ったとばかり。すみません、葛城さん」
最後に一緒であったのが自分であることから、青葉が頭を下げた。
「あなたの所為じゃないわよ。それにしても・・・」
夜来の雨は衰えることなく、あまつさえ徐々に勢いをまして風をともなってきている。台風が来るという話も聞かなかったが・・・。
「どっかの溝へはまり込んで身動きとれんなっとるんと違うか。よっしゃ、ワイが見てきたるわ」
「それはダメ」
即座にミサトが言った。
「食事当番はいつも通り食事を作っていて頂戴。日向君と青葉君、悪いけど私と外を探して。後のみんなは、校内を調べてみて。9時まで捜してみて、手がかりが見つからなかった場合は警察へ連絡するわ。リツコ、あとよろしく」
「わかったわ。気をつけてね」
ミサト、青葉、日向の三人が合羽を羽織って外へ出た後、マヤとレイが食事を作り、後の者が校内の捜索にあたった。無論、捜索にはカヲルが加わる。
トウジとヒカリ、シンジとカヲルが組み、リツコは一人で行動した。
さして広くもない校内、一巡するにはさして時間はかからない。だが、その僅かな間に風雨は強まっていった。
「昨日はあんなにいい天気で、夜も星がたくさん見えたのに・・・」
硝子を打つ雨に、シンジが呟いた。
「ここらあたりの天気なんて、こんなものだよ」
旧図書室のカギを閉めながら、カヲルがそう言った。使っていない教室を、一応チェックして回っているのだ。
「確かに無茶な奴だけど、要領良いから大騒ぎになるようなことは絶対にしなかったんだ。一体・・・・」
その時、シンジが呼吸を呑み込んだ。
向かいは講堂だ。その屋根の上に、人が・・・・・!?
「カヲル君!!」
「どうしたんだい?」
「・・・人が・・・屋根の上に人が・・・・」
カヲルが窓を開けた。風雨が吹き込む。しかし、その向こう・・・屋根の上には人影などなかった。すぐに閉めたが、廊下に少し雨が降り込んだようだ。
「誰もいないよ・・・?」
「・・・そう・・・そうだよね。そんな訳、ないよね・・・・」
呟いて、座り込む。
「大丈夫かい?真っ青だよ、碇君」
カヲルが白い手を伸べる。その手を借りて立ち上がりながら、シンジは言った。先日言いそびれた言葉を。
「あ、あの、僕もシンジでいいよ」
「ありがとう・・・シンジ君、誰がいたんだい?」
「判らない・・・見た・・・・ことのない人だった・・・」
これは真実のすべてではなかった。屋根の上にうずくまっていた人物・・・遠目にも判る白い肌、白い髪・・・・目の前にカヲルが居なければ、カヲルと誤認するほど良く似ていた・・・・・。
しかしそんなことを言ったら彼が気分を害するのではないか。そんな思いがシンジに口を噤ませた。
「莫迦ねえ、なにぼさっとしてるのよ」
校舎の屋根の上。先刻の少年と、レイに少し似た、青く長い髪の少女がいた。
「仕方ないよ。泣きたいんだから。それに雨が要るって言ったのはラミエルだろ」
そう言う間にも、少年の頬を涙がぽろぽろと伝い落ちる。
「だれも泣けとは言ってないわよ。鬱陶しいわね」
「ほら、喧嘩してる場合?」
第三の声は、いずことも知れぬ空間から響いていた。あるいは彼らにしか聞こえないのかも知れぬ。
「マトリエルは暫くそのままお願い。ラミエル、行って」
9時。いつもならそろそろ暑さを感じる時間帯だが、あたりは厚い雲に覆われて夕刻のような暗さだった。ミサト達が何の手がかりも得られず帰ってきたとき、待っていたのはさらに深刻な事態だった。
「電話が・・・・通じない!?」
「そうなんです。ちょっと用があって、洞木さんが自宅に電話をかけようとしたら・・・繋がらなかったんです。誰の携帯も同じです。エリア外らしいんです。ここの電話もこの風で断線したらしくて繋がりません。今、赤木先輩が車載端末から外部と連絡出来ないかって・・・・」
「そういや、リツコの車載端末って衛星通信対応だっけ・・・て、今ぁ!? 冗談、雷鳴ってるわよ!?」
その声に、雷鳴と稲妻が重なる。そして、衝撃。落雷だ。
「近い!」
ヒカリとマヤが頭を抱えてその場に伏してしまう。アスカは青ざめながらも唇を噛み、その場を動かない。
ミサトが咄嗟に窓へ駆け寄った。その時、二度目の衝撃。
青葉のワゴンが直撃を受けたらしく、黒煙を吐いていた。そして目の前で、リツコのセダンに青白い鞭が叩き降ろされる。運転席には、リツコの金髪がはっきりと見えていた。
「リツコ!」
瞬く間に、停めてあったすべての車が鞭打たれて黒煙を吐いた。なおも雷鳴は轟き渡り、付近の木を打ち倒す。
「いやぁぁぁ!先輩っっ!!」
半狂乱になって車に駆け寄ろうとするマヤを、ミサトは腕ずくで止めた。
「莫迦!今出たら間違いなく生身で直撃を受けるわよ!? 大丈夫、車の中にいれば死にゃしないわ・・・うろたえてんじゃないわよ、あんたそれでも理系なの!?」
そういうミサトの声も、半ば裏返っていた。
「だって・・・・だって・・・・」
ややあって、雷鳴が遠のく。その間、ミサトは窓枠を握り潰さんばかりの力で握りしめていたが、やおら窓枠を飛び越えて走り出る。
「日向君、担架か・・・担架になるようなものお願い!」
中途まで走って振り返り、そう叫ぶ。
「は、はいっ!」
日向が飛び上がって救護室へ走る。
「リツコ、生きてるわね!?」
ドアを開けて、開口一番。
気を失っていたのか。リツコがゆっくりと目を開けた。
「あんたともあろう人が、なんて無茶するのよ!」
「・・・これが一番先に潰されそうだったから・・急いだのよ。無駄だったけどね」
「・・・・?」
車載端末の成れの果てを指す。操作盤が内側から吹き飛んでいた。割れたパネルの破片がリツコの頬をかすめたか、細い傷をつくっている。
「大丈夫、歩けるわ」
「・・・リツコ、あんた何か・・・」
ミサトの追及は未遂に終わった。救護室にあった担架を抱えて、日向が走ってきたからだ。
「俺が直接、歩いていきます。電話が通じないなら、それしかありません。道の途中で公衆電話でも見つかれば手っ取り早いし、そうでなくても電話が繋がってる人家に行き着けたらそこから連絡してもいい。とにかくこのままってわけには行きません」
「そうは言うけど・・・・」
青葉はケンスケの失踪を自分の責任と感じているらしかった。ミサトをはじめ誰もそんなことは考えてはいなかったが、車はすべて使用不能、通信機器の一切もダメとなれば、最後は人の足に頼るよりない。
「行かせてください、葛城さん」
「・・・・判ったわ。でも気をつけて」
青葉に出来うる限りの装備を持たせて送り出したのは、10時少し前のことだった。
救護室で一応休んでいたリツコが目を覚ましたのが10時半。
そのときにはまた別の騒ぎが持ち上がっていた。
「渚君がいなくなった?」
「ええ、シンジ君と一緒に校内を回っていたんですけど・・・・電話が通じないって話になった後、保安器を見てくると言って外へ出たんだそうです。それっきり・・・・・」
側についていたマヤからその話を聞いたリツコの表情は、マヤが想像したほど動かなかった。
「・・・なんだかおそろしいことが起こっているような気がするんです。でもきっと気のせいですよね?大丈夫ですよね?すぐ嵐もやみますよね・・・・・?」
「そうね、嵐がやめば・・・」
曖昧な返事をして、リツコは起き上がった。
「大丈夫なんですか、先輩?」
「ええ、ちょっと・・・顔でも洗ってくるわ」
救護室を出て、渡り廊下の途中の手洗い場の蛇口を捻る。
セメントで打ち固めただけの流しを、勢いよく水が流れていく。
『まさか、あの子たちが・・・・・』
リツコは頭を振った。まさか、そんなことが。
マヤは万一を考えて、備え付けの薬を点検していた。
風雨はまだおさまるところをしらず、木造校舎はぎしぎしと不吉な音をたて続けていた。あまり考えたくはないが、怪我人が出た場合のことも考えておかねばならない。
「もうそんなものは要らないよ。綺麗なお姉さん」
降って湧いたような気配に、マヤはビクリとして振り返った。
古いドアが軋んだ音は聞かなかったのに、その白い少年はドアの内側に立っていた。
「渚君・・・・じゃないわよね・・・あなた、誰・・・・・」
少年は優美に笑った。至高の天空の色の髪を後ろでまとめた、紅瞳の少年。こんな状況でなければ、思わず見惚れたであろう美貌だった。
「やっぱりあなたがいいや。だってあなた、とても綺麗なんだもの」
彼女に歩み寄り、その白い両腕を伸べる。
「い、いや・・・・来ないで!」
何が畏怖させるのか、マヤにも判らなかった。だが、背筋を氷塊に押しつけられたような感覚に、足が竦む。
「・・・怖くないよ。一瞬だもの」
「ぁ・・・あ・・・」
白い指先が、彼女に触れた―――――――――。
何かがはじけたような音に、リツコは救護室に駆け戻った。
そして、立ち竦む。
「何、今の音は!?」
駆けつけたミサトが、リツコの肩越しに中の様子を見て思わず口を押さえる。
子供たちが駆けつけてくる音。
「あんたたちは来ちゃ駄目!!」
ミサトの剣幕に、子供たちも思わず足を止めた。しかし、殆ど意味はなかったかもしれない。立ちこめる血臭は隠しようがなかったからだ。
薬品棚から天井にかけて、禍々しいばかりの血の色が吹きつけられていた。
その前の床は、得体の知れない黄色い液体で濡れている。
壁や天井に散った血の色が、見る間にその黄色い液体へと変化していく。
衝立の下に落ちていた華奢な手首もまた、ぐずぐずと溶けて床を濡らしていたのと同じものへ変わっていく。
マヤの衣服と装身具だけが、その液体の中心にわだかまっていた。
マヤの遺品―――――もはや皆、その理由はともかく何が起こったかを感じ取っていた―――――を回収し、必要なものだけ持ち出して、救護室は締め切ることになった。
「リツコ、あんた何か隠してない?」
「・・・・どうして?」
ミサトは敢て、さらに問い詰めることをしなかった。喋ってどうにかなるものなら、彼女はとっくに喋っていると気がついたのだ。
「とにかく、単独行動は避けましょう。部屋も一つにまとめる。いいわね?」
12時を回り、すっかり冷えてしまった朝食を温めて食べた。
最初の夜の雰囲気はどこかへ消し飛んでいた。皆俯き加減で、言葉もなく黙々と食べる。味などすでに判らない。
不意に、アスカが挙手して言った。
「はい!先生」
「なあに、アスカ」
「今日の練習は何時からなんですかー!」
一同、きょとんとしてしまう。こんな時に?
ミサトが微笑む。アスカの意図するところを汲んだのだ。
「そうね、一時半から始めましょうか・・・・」
自意識過剰のきらいはあるが、良い子だと思う。人の上には立てないかもしれないが、皆の中にあって皆を引っ張って行ける子だ・・・。
本来はパート別に部屋を分けるパート練習も、今日ばかりは同じ教室でやった。楽器を手にすることで、少しずつ皆に表情が戻る。
しかし、いっこうに表情がもどらないのがシンジだった。
「なぁに不景気なカオしてんのよ!?」
弓を持つ手が止まっているシンジの背を、アスカがひっぱたく。
シンジにとってアスカは第三新東京市へ来る前からの、唯一の知己であった。彼女もまた昨年第二東京からこちらへ越してきたのだ。シンジと違って、生まれたときからそこに居たようになじむまで、3ヶ月とかからなかったが。
「う、うん・・・・」
ケンスケやマヤの件も然る事ながら、シンジが気にかけているのはカヲルのことだった。療養所暮らしが長かったと言うから、あまり身体が丈夫なわけではあるまい。この雨の中、一体何処へ・・・・?
そんなシンジを暫くじっと見ていたが、もう一度ばん!と背中をひっぱたいてシンジの耳に顔を近づけた。
「心配なのは判るけど、その不景気なカオはやめなさいよ。皆、不安なんだから」
はっとして、アスカを見る。アスカはにっと笑って見せて、自分の椅子へと戻っていった。
確かにアスカの言うとおりだ。
現にカヲルが戻らない以上、それですべて納得できるわけでは決してなかったが、シンジはともかくも弦に弓をあてた・・・・・。
――――――しかしその夕刻、さらに皆を絶望させる出来事があった。
校庭の隅に、樹齢150年はかたいだろういう二本のメタセコイアの巨木がある。その中ほどの枝に、何かがぶら下がっているのをトウジが見つけた。
この風雨では取りに行くわけにも行かぬ。ケンスケが持っていた暗視装置つきの双眼鏡を借りて、それを確認したミサトの顔色が変わった。
それは、ずたずたに引き裂かれた青葉のレインコートであった。