魔道都市異聞Ⅴ

上弦の月

Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅴ)
SLAYERS FF「The Dragon’s PeakⅢ」

 傍らで、起き上がる気配にふと目を覚ます。十六夜の月は中天にあり、天窓から静かに光を降らせていた。
「・・・行かれるのですか?」
冴え冴えとした月光の下、しろい背を覆う緋の髪。この静かな情景の中でさえ、激しく音を立てて燃え上がるかのような色彩。
「あぁ、起こした?」
皓く冷たく・・・ほそくも勁い手が伸べられ、彼の額に触れる。それは至極たおやかな動作に見えて、身を起こそうとした彼を確実に制した。
「・・・また、熱いな」
「傷なら癒えました」
「傷が引き攣って竜身にも戻れぬうえ、瘴気に蝕まれて発熱を繰り返す半病人の癖に」
「・・・・・・アリス・・・・」
全く容赦がない。しかしなおも彼が言葉を捜しながら口を開きかけると、彼女は身を屈めて紅唇でそれを塞いだ。
強い酒を一息にあおったあとのような感覚にも、今は酔えぬ。そうしてまたはぐらかすのですね、というひとことさえも、言わせては貰えぬ。
彼が冷えた諦めに身を沈めかけた時、癒えきらない右肩の傷を無造作に掴まれ、痛みに思わず背をしならせる。上げかけた苦鳴はそのまま貪られた。唇を解放はなされても、暫くは呼吸が荒れるばかりで声にならない。
「・・・あまり私を困らせるな」
優雅な加害者が彼の耳朶を咬むようにして紡いだ言葉は、甘やかでありながら一切の反論を残酷なまでに封じた。
「まだ、戦えぬ。・・・だから、お前は来るな」
そして身を起こした彼女の、いつになく寂しげな紅瞳を忘れたことはない。それが、彼の記憶にある彼女の最後の姿だったから。


Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room (Novel-Ⅴ)
SLAYERS Fun Fiction 「The Dragon’s PeakⅢ」
魔道都市サイラーグ異聞 Ⅴ

『お久しぶり、ヴィルヘルム=ラインソード。もう棟梁だっけ?生きて会えて嬉しいよ』
アリステアが戦士の旅装に身を固めてラインソードの村を訪れた時、ヴィルヘルムは戦傷を受けた先代から棟梁の名を継いだばかりだった。
『“神封じの結界”の調査ですか。竜族も被害が大きかったでしょうに』
『被害、なんて生易しいものじゃない。下手すると絶滅の危機よ。・・・だから余計、状況を把握しておこうと長老方も焦っている』
『我々も分断されて同族と連絡も取れていない状態ですよ。よくここが判りましたね』
『魔族どもに入り口がバレるようなことはしてないから安心して。ちょっと、預けたいものがあったから寄らせてもらったの』
そういって、薄蒼い宝珠を手渡す。膨大な情報を記憶するタイプの宝珠であった。
『中を見ても?』
『構わない。そのために預けるんだし』
棟梁は軽く目を閉じて宝珠が持つ情報を読んだ。
『・・・義手?・・・・そういえば、命は取り留めたが腕を砕かれたと・・・』
いつか彼女に随従してきた若い竜の姿を思い出す。若い、といっても実際にはヴィルヘルムよりはるかに年長なのだが。
彼女は肯いた。彼女にしては珍しく、やや視線を伏せたまま。
『・・・肩の傷が瘴気の影響で変な塞がり方をしてね。竜身に戻れなくなってる。体力が戻ってからなら、傷が裂けても即座に塞げるだろうけど・・・今の今は、慎重に切開してから竜身に戻ったとしても傷を塞ぐ前に取り返しのつかないことになる可能性が高い』
『だから、連れて行かない・・・ですか』
『・・・“行くな”じゃなくて“連れてけ”って言うのは判りきってたし・・・置いてくるにも難儀したわ。・・・ちょっと、酷いことしちゃったかも』
やや居心地悪そうに口籠もる。
『隻腕でも生きてはいける。でも、彼はそれを良しとはしないでしょう。・・・だから、その時のためにこれを置いていくわ。あなたがたの技術力が必要よ。もし、彼がそのために此処を訪ねたら、力になってやって欲しいんだけど』
『他ならぬあなたの頼みだ。できるだけのことはさせて貰いますよ』
『あなたたちにとっても悪い話にはならないと思うわ。魔道技術だけで言えば、多分そろそろ私を凌駕するから』

 ――――――――そして、彼女が旅から戻ることはなかった。調査の旅の途中、魔族に討たれたという。
サイラーグからの帰途、イリシオスの翼で村まで送ってもらう途中。封魔装甲ザナッファーの顛末を聞いて、棟梁はアリステアが以前言っていたことを思い出していた。
『生きるためには目標が必要で、戦いはその中で一番わかりやすいもののひとつだ。その是非はともかくとして』
果たして、ミルガズィアはラインソードの村を訪れた。義手はアリステアの基本設計よりもはるかに兵器寄りの性能を実現し、また義手の作成を通じて培われた連携は対魔族戦闘のための武器開発へ発展していった。
「なあ、イリシオスよ」
「はい?」
「お前さん、烈光の剣ゴルンノヴァの継承者って娘を実際に見てみたって?」
「・・・・はあ、一応。遠目ですけど」
「どう思った?」
「・・・棟梁・・・何が仰りたいので?」
露骨に用心しつつ訊ねかえされ、棟梁は苦笑した。
「・・・まあ・・・なんだ、ミルガズィアの奴、随分肩入れしてるようだから、どんな娘かと思ってな」
暫く考えるような間があった。
「・・・綺麗なひとですよ。そして勁い」
「そうか・・・」
それ以上訊かず、棟梁は小さく吐息した。見なくても判る気がしたのだ。
先刻垣間見た、ミルガズィアの苦しげでさえある翳りの意味も、また。

『姉さんをお願いします・・・竜王ドラゴンロード殿』
真顔でそう言ってミルガズィアへ頭を下げるマリウスに、クラウは辟易したように吐息して緋の髪をかき回した。
『ほら、ミルさんが困ってるでしょ。この非常時に、そんな遺言みたいなこと言ってる場合じゃないでしょうが!あんたはあんたの仕事して頂戴』
クラウの言葉に、ミルガズィアは自分が当惑した表情を晒していることに気づいた。
それは違う・・・と言おうとして、喉奥で何かに堰せかれる。
今此処で・・・クラウの前で、口にするのは躊躇われたのだ。・・・まさしくそれは遺言であると。

 何があったのかは判らない。だが確かであったのはミルガズィアの策に同意し、魔術者を集めることを請け負ったその人物が、既に生きた身体を失った者であるということ。しかしそのことを、クラウには悟られたくないと思っているということ。
ならばあえて、問い詰めるべきことではない。・・・問い詰めている場合でもない。
何より、透徹した微笑に深甚な謝意を浮かべられ、それ以上は何も言えなかったというのが正しいかもしれない。・・・その結果が、判っていたとしても。
――――――どんな道具であれ、使途つかいみちを間違えれば凶器になる。理屈ではわかっていたはずのことを、今回は嫌というほど思い知らされた。そもそも意図していない使い方をされたのだから、訪れるべくして訪れた結果というべきであった。しかし、魔族の一方的な蹂躙から大切なものを護りたいという至極真っ当な想いが、ここまで事態を拗らせるものとは思ってもみなかった。
『あなたも魔族に対抗するために・・・魔族を排除するために、この鎧を作ったのだろう!? 魔族の一方的な侵略に抗するために!!それに倣おうとすることの、何処がいけない!?』
血を吐くが如き絶叫に対する答を、ミルガズィアは持たない。彼自身、いまだ自分を説得することに成功しているとはいえないのだから。・・・だからこそ、サイラーグで再会したマリウスの透徹した微笑が気にかかる。彼は、何を見てしまったというのだろう。

 底なしの諦念。あるいは失意の果てに見つけた幾許かの希望。・・・訊けるものなら訊いてみたかった。

 ――――――魔力を使い果たすような大技をつかったわけでもないし、魔獣を引きずりまわす程度が然程の労力を要したとも思わない。むしろ街の破壊を最小限とするため力を抑えながら動かねばならなかったことに多少の疲労を感じてはいたと思う。・・・その所為か、イリシオス達を見送ったあと、湖の畔に座したまま暫くうつらうつらしていた。
気がつくと、月がその玲瓏たる光を瘴気の森に降らせていた。
クラウはまだ戻らない。
尋ね人が見つからないであろうことを判っていて送り出したことを、ミルガズィアは今更ながら後悔していた。
盾となろう、とミルガズィアは言った。魔獣の攻撃から、瘴気から護るのは然程難しいことではない。だが、哀しみから彼女を護る術はなかった。
・・・今更、行って何が出来るだろう。
だが、避けていても仕方ない。・・・ミルガズィアは、やや緩慢な動作で立ち上がると街へ足を向けた。数歩を行くうちにその身を黄金色の靄が包み、その靄を裂いて黄金の竜身が飛躍する。
月の好い夜。あれから僅か二晩しか経っていないことが、何か不思議だった。
然程の距離でもない。月の光を十分に浴びるほどの間もなく、市街が見えた。人家に明かりが灯り、建物を焼く煙ではなく炊煙が細々とではあるが上がっている。・・・まだ、街には人が生きているのだ。
夜とはいえ、あまり派手に竜身を晒すつもりはなかった。比較的人目につきにくい場所を択んで降下しようとしたが、不意に現れた―というより、隠すのをやめた―気配に身が竦んだ。
忘れようがない。これは・・・!
紛れもない恐怖が心身を絡めとる。喪くした右腕が痛む。さながら見えない壁のような、抗いがたい力がそこへ降りることを阻んだ。
クラウは何と言ったか。異界黙示録の写本の在り処を捜すために彼女を利用しようとした、胡散臭い黒衣の神官がいた、と。
異界黙示録の写本とおぼしきものを、片端から調べて消し去っている魔族がいる。獣王ゼラス=メタリオムのただ一人の神官、竜を滅せし者ドラゴンスレイヤー・・・獣神官ゼロス。
本来の狙いは装甲を造ろうとした魔術者たちの手の内にあったという写本だったとして、まだこんなところをうろついているとしたら・・・考えられることは。

 クラウディア=ガブリエフ。・・・あの不羈の光!

 その時、抗いがたい力にミルガズィアは敢えて抗った。
『この先、私があの竜を滅せし者ドラゴンスレイヤーにまみえたとき・・・私が復讐心に駆られて勝ち目のない戦いを挑むことがないとは・・・言い切れません。もしそうなってしまったら・・・』
もう二〇〇年近く前になるか・・・彼自身の言葉を思い出す。しかしここは竜たちの峰ドラゴンスピークではない。今ならば、同胞を巻き込むことはない筈だ。

 「戦うべき時は戦え」

 かつて最長老と呼ばれた竜が、最期に伝えた思惟・・・それが、旧い記憶の中からミルガズィアに囁いた。理解したと思ったのは、錯覚か。しかしその時、確かに身体が軽くなった。生存本能の鳴らす警鐘に敢えて逆らおうとしているというのに。まともに戦って勝てる相手ではないのはわかりすぎるほどにわかっている。それでも・・・今は。
僅かに身体を捻り、降下の体勢をとる。心臓を締め上げるような恐怖は去ったわけではなかったが、それはもう枷にはならなかった。
スィーフィードの神殿。広い敷地の中の、中庭のひとつ。噴水を受ける水盤の脇に立つクラウの姿をミルガズィアが視認した時、獣神官の気配が消えた。凄まじい圧力プレッシャーが瞬時に消えたことで危うく失速しかかるが、すぐに立て直して降下を続ける。
クラウも此方を視認したようだった。だが、その直後ふらりとその姿シルエットが揺れ、頽れていく。
ミルガズィアは翼をたたむより先に人形じんけいをとった。半ば飛び降りるようにして馳せつけ、抱きとめる。
「・・・クラウ!」
いらえはない。月の加減かその頬は幾分蒼褪めてはいるが、呼吸も鼓動もしっかりしているし、すぐさま命に関わることはないように見えた。・・・疲れが噴き出したというところだろう。
咽喉を鋭利な爪を持つ手で締められるような圧迫感は既にない。周囲は月光に照らされた水底の如き静謐が広がるばかり。・・・何があったのかは判らぬ。だが、当面の危険が回避できたことは確かなようだった。
ミルガズィアはクラウを抱き上げると、神殿へ足を向けた。

 暖かさのなか、ひととき微睡まどろむ。雨の朝、外がもう少し明るくなるまで・・・もう少しだけこうしていよう。子供の頃のそんな他愛のない記憶を、脈絡もなく手繰り寄せる。
クラウは、目を開けた。
簡素だが品の良い造りの天井。肌に触れる敷布シーツは、布目は粗いがきっちり糊がきいていて心地好い。外では雨の音がしていた。ああ、この所為か・・・とぼんやり思いながら、起きようとして寝台を囲む治癒結界に気づく。あの生真面目な竜王ドラゴンロード殿の仕事だろう。
どれぐらい眠っていたのだろう。疲労に類するものは身の内に残ってはいなかった。クラウがすぐに起き上がらなかったのは、子守唄のような雨の音と褥の暖かさに引き止められてしまっただけのことである。
誘惑を振り切ってクラウが身を起こすと、部屋の隅の椅子でうたた寝をしていたらしい若い巫女が慌てて立ち上がった。
「お目覚めですか。ご気分は・・・」
「大丈夫よ。有難う」
「お召し物はこちらに。他になにか、御入用のものがありましたら、何なりと」
言われてはじめて、クラウは自分が巫女の衣装らしきものを纏っているのに気がついた。洗濯され、丁寧に畳まれたクラウの服は光の剣と一緒に枕元の卓に置いてある。
「水を一杯貰える?・・・それと・・・私、どのくらい眠ってたんだろう」
水差しからコップに水を注ぎながら、巫女が答えた。
「お倒れになってから、三日ほどと伺っております。・・・どうぞ。もしよろしければ、軽いお食事をお持ちしますが」
「何から何まで申し訳ないみたいね。・・・でも、この際はご厚意に甘えさせて貰おうかな」
「勿体無いことです。貴女様には、サイラーグをお救いいただいたのですから。このようなことしか出来なくて、心苦しいばかりです」
差し出された水を一口呑み、クラウは苦笑する。
「そんな偉いことはしてないわ。そこまで言われると、なんだか背中がむず痒くなってくる」
若い巫女がすぐ戻ります、と部屋を出ると、クラウは寝台を降りて手早く装備を整えた。巫女の衣装は決して着心地の悪いものではないが、どうにも着慣れないものは肩が凝る。丁度靴の紐を結び終わった時、ノックの音が聞こえた。
「どうぞ」
巫女が戻ってきたにしては早いようにも思ったが、クラウは素直に応えた。開いた扉の向こうに立っていたのは、ミルガズィアだった。
「疲れは取れたか」
「お陰様で。・・・運んでくれたの、ミルさんだったんでしょ。いったい神殿にどういう説明をしたの?まるでどこぞの英雄様でも迎えたような扱いよ」
「私は何も言っていない。すぐにロドス卿に行き会ってな。彼が手配をしてくれたようだ。ついでに、土地の大神官に瘴気のことを説明しておいた。ロドス卿が上手く話を通しておいてくれたようでな。事が早くて助かった。それで・・・」
そこでいったん言葉を切り、逡巡の末に再び口を開く。
「・・・いたのか、あの・・魔族が」
これ以上ないというほどに鎧われた、硬い声。元来読みづらい表情が、はっきりと判るほどに強張っている。「昔、ちょっとあった」というレベルではないな、と思ったが、今はそれを詮索するときでもなかった。
「・・・ええ、来たわ」
ゆっくりと、寝台に腰を下ろす。そして、薄く笑んた。
「私の感情を喰らいにきたんでしょうけど・・・追っ払っちゃった」
「・・・追っ・・・よく、無事だったな」
表現が豊かとは言いがたい竜王の、これまでになく驚いた表情を・・・クラウは束の間愉しんだ。
「『私は絶望なんかしない』って言ったら、諦めて帰っていったわ。・・・でも、さすがに怖かったな」
「・・・とても怖がっていたようには見えないが」
「いろいろと手のこんだ味付けをしてくれたようけど・・・喰えないモノに改めて時間を割くほど、魔族もヒマじゃなかったんでしょうよ。・・・いいのよ。お陰でマリウスの遺言も聞けたことだし。ごめんなさいね、気を遣わせちゃって」
余程言い難かったのだろう。・・・だからクラウは自分から言った。でも、口にしてしまったことで、溜めていた何かが溢れそうになる。
「クラウ・・・」
「・・・絶望はしない。でも悲しくないわけじゃない。・・・ただ、ヤツの思い通りになるのが悔しかっただけかな・・・」
目を伏せたクラウの頬を、透明な雫が滑り落ちる。竜王の当惑を慮って、しまったなとは思った。見られることに悔しさもあった。だが・・・今更どうなるものでもない。ただ、流れ落ちるに任せた。そうするより他になくて。
俄かに、頬に触れた暖かさに驚いて顔を上げる。ミルガズィアがクラウの傍らに身を屈め、その手を伸べて頬に触れていた。怪我なんてしてないよ、と言いかけて、その暖かさが治癒魔法でなく、純然たる体温であることに気づく。
「・・・私に、できることはあるか?」
読みづらい表情の中の黄金の双眸は、なにか気遣わしげにも見えた。
・・・およそ、竜などという寿命の長い生物が人間の心情きもちを理解しようとするなど、ありえないと思っていた。ある程度、慮るということはあるだろう。しかしそれは、人間の出方を推し量るためであって、共感ではありえない。それが竜という種族に対する、常識的見解というものだった。
しかしその静かな問いは、これまでの総てを理解した上での真摯な問いかけであるように、クラウは感じた。
このひとはやっぱり無駄に優しい。いっそ度し難い程に。こういうときは委細訊ねるより、何も言わずにそっと抱き締めるものよ・・・と言ってやろうかと思ったが、身も蓋もない反応リアクションで報われそうな気がしてやめた。
だからただ・・・その幅の広い肩に頭を預けた。
竜王ともあろう者が傭兵ひとりに加勢してくれる理由が、持ち出された魔法道具マジックアイテムの後始末だと信じきれるほど、クラウは子供ではなかった。黄金の眸が彼女を見るときの、いっそ苦しげな翳りにも気づいている。
誰を見ているのかは、訊かない。今ここにいるのは自分クラウだから。そしてこのひとは、クラウとの誓約を守ったのだから。
・・・それで十分だ。
「温かいね、ミルさんの手って」
顔をあげ、努めて笑ったクラウに、ミルガズィアは戸惑ったようにその掌を見つめながら言った。
「その尺度に違いがあるにしろ、我ら黄金竜とて命ある身に違いはない。・・・泣きも笑いもするし、身を斬れば血も流れる。・・・体温があることが然程不思議なことか?」
「気を悪くしたんなら謝る。なんとなく、思っただけ。・・・同じように人形じんけいを取れても、やっぱり魔族とは違うんだなって」
魔族と同列か、と言いたげな竜王の困惑を今一度愉しんで、クラウは言葉を続けた。
「じゃ、もう一度・・・湖まで付き合ってもらっていい?」

 雨は上がり、雲の切れ間から眩しいばかりの陽光が射していた。
「・・・これは・・・凄いわね。こんなのが4、5日で生えるもんなの」
すっかり見上げるほどの大樹に成長した神聖樹フラグーンの前に立ち、クラウが嘆息する。湖は半ばまで木の幹と縦横に巡らされた根に覆われていた。小山のようであった魔獣の骸も既に姿がなく、瘴気がなければここがそうであるとは気がつかないであろう。
瘴気は普通の人間には気づかれないこともある。気づかれぬままに命あるものを蝕む。だから、ミルガズィアは土地の神官に余人を立ち入らせないように警告もした。
「・・・いずれこの湖は、総てこの木の下に埋もれるわね」
「そうだろうな。それだけ、瘴気の量が凄まじいということだ」
「・・・そっか・・・」
クラウはゆっくりと、既に岸と接してしまった幹に手を触れ・・・そっと額を寄せた。
「・・・墓のひとつも立ててやろうかと思ってたけど・・・これだけでっかい墓碑が立ってれば、造るだけ野暮ってものね」
呟くようにそう言って、梢を見上げる。
誰の、とは訊かぬ。クラウとミルガズィアだけが知る、もう一人の勇者の墓。
梢を見上げるクラウの姿を、ミルガズィアは静かに見守っていた。
「莫迦なマリウス・・・魔族に力押しで勝とうっていうのが間違いの基だっていうのにね。魔に負けたくないのなら、方法はひとつしかない。・・・すべてを否定する者に対抗することができるのは、すべてを肯定できるものだけなのに」
クラウの低い呟きに、ミルガズィアは知らず、呼吸を詰めた。
それはいつか、彼自身が失った答だった。・・・彼女は、そこへ二十数年で辿り着いてしまっている。完全に手中にしたというわけではないにしても。
不羈の光。たぐいまれな魂の力。そんな言葉だけでは収まりきらない何かがあるような気はしていた。・・・あの獣神官さえ退けうる、何かが。
・・・・・・寿命が短く、短いサイクルで転生を繰り返す人間の中には、時に混沌の海に消えたスィーフィードの欠片を宿したものが現れると聞いた。赤の竜神の騎士スィーフィード・ナイトと呼ばれる存在である。
ミルガズィアは、自分がそれを目の当たりにしているのではないかという思いに囚われている。そして、その漠とした思いは確信に変わりつつあった。
マリウスのこととは全く別の意味で、口にするのが憚られることではあった。・・・そして、言うつもりもなかった。言ったところで、軽く流されるのが落ちのような気がしていたし、さして意味のないことだとも思えたからだ。
彼女が彼女であること。ただそれだけ。おそらく、それ以外のことは彼女には必要ないのだ。
自覚がある者も無い者もいるらしい。むしろ欠片を抱いたまま、只人として生を終えるほうが多いのだと聞いた。あるいはそのほうが身に過ぎた力に振り回されることもなく、平穏に過ごせるのかもしれない。恐らく彼女は人間としては破格の魔法容量キャパシティを持っているだろう。魔道へ進めば希代の魔道士として名を馳せたかもしれない。・・・しかし、彼女は剣士だった。それが、彼女にとって吉凶いずれであったかは判らないが。
「でも、あれだけさっぱりした顔ができたってことは・・・きっと何かを見つけることは出来たのよね・・・」
クラウが神聖樹を見上げたまま、数歩下がって・・・踵を返した。その動作で、首にかけた深紅色の護符アミュレットが木洩れ日をはねた。湖に行く、と言ったクラウに、ミルガズィアが急遽作って持たせた瘴気除けである。新しい命を宿した身で長く瘴気に接するのはあまり良いことではない。今更という気もしたが、なにもしないよりましだと思ったのだ。
「いろいろ・・・ありがとね、ミルさん。私、ミプロスへ帰るわ」
その目元には既に涙痕はない。そこにあるのは穏やかな微笑だけ。
「・・・送ろう」
ミルガズィアは言った。もし彼女がミルガズィアの考えた通りの者であったとしたら、これ以上竜だの魔族だのに関わらせないほうがいいのだろう。またぞろ事件に巻き込まれて、欠片が目覚めるようなことになったら・・・正直なところ、何が起こるか予想がつかない。彼女のことだから、何も変わらず、飄然と力と共存しそうな気がしないでもないが・・・できるなら人としての生を平穏に全うして欲しい。
だから、もう暫くはただ見ていよう。すこし離れたところから・・・。

 ミプロスは比較的小さな島だが一つの国を成し、その地形も変化に富んでいる。
一番高い峰はその昔火山であったと言われ、名残として島中いたるところで温泉が湧く。気候は温暖で湯治や避寒のために訪れる者も少なくない。ゆえに海べりの市街地は賑やかであるが、内陸に入れば手付かずの自然と平穏な静けさが広がっていた。
その草原は海岸線から丘陵ひとつで隔てられていたから、風向きによっては幽かに潮の香を感じることもある。森とは小さな湖で接し、森の奥にはエルフの集落があるとも聞く。
フェアリーソウルが乱舞する夜、クラウはそこへ帰ってきた。
クラウを降ろしたミルガズィアは、そのまま静かに別れを告げた。
ウチに寄って行かない?という言葉が喉元まで出掛かっていたが、人形じんけいをとることもなく佇立する彼に、ついに言いそびれた。優しい金瞳が寂しさと申し訳なさを綯い交ぜたような光を湛えていたから、尚更。
「・・・また、逢えるかな?」
「縁があれば・・・いつか、何処かで」
約束をくれないことに微かな寂しさを感じている自分を、クラウはすこしだけ嗤う。だが、ミルガズィアは言葉を続けた。
「だが、もしこの先・・・クラウ、お前自身の手に余ると思えるような事が起こったら・・・私を呼ぶがいい。その護符アミュレットが媒介する」
「へえ、そんな力があるんだ」
クラウは首にかけたままだった護符アミュレットに手を触れた。水滴の形をした深紅色の宝珠。それに鎖をつけただけの簡素なものだ。宝珠の深紅色はおそらく竜の血の色。竜の血は様々な魔法の媒介・増幅に使用できると聞いた。宝珠の中に浮き上がっている紋様を核に、ミルガズィア自身の血を封じ込めたか、あるいは結晶化させたものなのだろう。
「ありがとう。・・・大事にするね」
嬉しいけど、あまり甘やかさないで欲しいな・・・という些か我儘な感想は、言葉にされることはなかった。これだから、支えられることに狎れたくないのだ。・・・離れることが辛くなる。いままでできていたことができなくなる。
だから、笑う。いつか、このひとが“クラウディア=ガブリエフ”を思い出すことがあったなら、零した涙よりも笑った顔を思い出して欲しいと願いながら。
「さよなら。・・・・またいつか、何処かで」
くるりと身を翻し、歩き出す。いつもそうしていたように。背を伸ばし、前を向いて。・・・大丈夫、今までだってそうしてきた――――――
数歩を進めたとき、周囲のフェアリーソウルが見えなくなるほどの光に思わず立ち止まる。
光が消え、薄闇の中にぽつりぽつりとフェアリーソウルの淡い光が戻りはじめたとき・・・少し無理矢理に伸ばしていた背中が温かさに包まれ、薄い蒼と黄金色がクラウの視界を占めた。

To be continued…