────FIO(連邦情報部 :Federal Intelligence Office)本部ビル。
シェイン・A=リスト連邦軍情報部少佐は、仮眠から覚めた。
連邦情報部・本部ビルに与えられる個室と、それと続き部屋のオフィスは、情報部上層の彼に対する評価を示すものだった。だが、それは同時に自宅に帰る暇がないほどの激務をこなさなければならない立場も意味していた。
珍しく数日の休暇を確保した。然りとてすぐに自宅へ戻る程の気力も湧かず、とりあえず仮眠を取ったところだ。あとは心置きなく休日を満喫するためにいくつかの確認事項を済ませる算段で、服を整えてオフィスへ続く扉を開ける。
そこで…思わず足を止めた。
「お…前…?」
「…や、お久しぶり。こう言うべきなのかな、この場合」
整頓されたシェインの机に座を占めていたのは、黒い髪と、焦茶の瞳。典型的日本人の容貌を持った青年だった。
あからさまな不法侵入。だが、相手は至って落ち着き払い、コーヒーがあったらゆっくり飲んでいそうな雰囲気である。いっそ、振り向きざまに「お茶菓子、ないの?」とでも言い出しかねない。シェインは思わず、警報装置に手を伸ばすことを失念していた。
ひとつには、全く知らない人物という訳でもなかったからだ。
「お前、まさか…クサカベ?」
「おー当たり。よく分かったな。憶えててくれて嬉しい。お邪魔してるよ?」
他人の椅子を、横着な片胡座で占拠しておいて…侵入者はにこやかに手を振った。
ものを考えているのか、いないのか、今一つよく分からないといった印象は、あの頃とほとんど変わりがない。だが然程付き合いがあった訳ではなし、どっちかといえばとりあえずは知り合い、というくらいのものだ。少なくとも、シェインはそう認識していた。
発音しづらい姓の上には、至ってシンプルな名前が載っかっていた筈だ。記憶の中からそれを捜し出そうとして…イニシアルでなく実名なのだと気づくのにしばらくかかった、などというこの際どうでもいいエピソードを思いだして、訳もなく果てしない徒労感に襲われた。
――――間違いない。何かはともかく、厄介事を持ち込まれたのだけは確定だ。
「…ケイ=クサカベ…何でお前がここにいる?」
怪訝さを隠しもせずにシェインがそう問うと、飄々とした眉目にやや不機嫌な風を吹かせて侵入者は言った。
「実を言うと、それを一番聞きたいのはおれなんだ」
「…どういう意味だ」
それには応えることなく、ケイはデスクに向かって手をかざした。
その単純な動作が引き起こした数秒間には、いくつもの戦慄すべき事象が含まれていた。
立体ディスプレイが立ち上がって像を結ぶ。ロック画面でさえない。本来ICC1で表示されるべき映像がそこにあった。
「…何をした!」
シェインの声が尖る。
仮にもFIOセントラルオフィスの一隅だ。鉄壁のセキュリティが幾重にも組まれている。そのワークステーションを起動させるのは、スリープ状態の個人用端末を起こすのとは訳が違う。オフィスの所有者、所有者が許可した者以外の操作で易々と情報を提示するような造りには決してなっていない。況して、ICCの画像を参照するにはシェイン本人でさえウンザリするような認証手続きを踏まなければならないのだ。
ケイはいまやすっかり不貞腐れたふうで、少し俯き加減に次々と新しい画面を展開させていく。そうして出現した映像…おそらくは記録ではなく、ICCのリアルタイム画像を、まとめてシェインの方へ滑らせた。
「俺なんかのフルネームを憶えててくれて恐悦至極だが、実のところ俺が訊きたいよ。
こういうことさ…何で俺が地球くんだりまで引っぱられて、こんな扱いを受けなきゃならないんだ?」
提示されたICC画像には、この区画…シェインに与えられたブロックが、FIO警備部によって武力封鎖される様子が映し出されていた。
***
アル・アティル星系帝国大使館。
「マリク」
やや沈んだ顔でワークスペースからオフィスラウンジへ出てきた緋色の髪の青年は、ラウンジからおっとりした声をかけられて足を止め、すいと表情を消した。
マリク=シャイアというこの青年、小柄な上に童顔なのでともすると未成年に見られるのが悩みのタネだった。彼を呼び止めたこの人物と並んで立つと余計にそれが強調されるのだが…こればかりは職務だから逃げる訳にもいかない。
マリクを呼び止めたのは、彼の上司である。白い長衣2に癖のある金褐色の髪、そして明るい緑瞳という綺羅ぎらしいばかりの取り合わせは、その美貌を差し引いたとしても十分目立つ。一歩間違えば悪目立ちであろう。おまけにラウンジのクリアガラスのテーブルには品の良いグラスが置かれているが…中身はどう見てもアルコールだ。
「浮かない顔だな。何か気になることでも?」
「…何のことです?」
表情を極力消したまま、微妙に視線をずらしてマリク=シャイアは応えた。別に彼がキリディックを嫌っているという訳では無く、目を合わせるとどこまで見抜かれるか分かったものではないからだ。厄介事を抱えているときは特に要注意。興味を持たれたが最後、ただの厄介事が厄災に発展すること請け合ってもよい。
目を合わせようとしないことに気を悪くする様子もなく、マリクを揶揄うような所作でグラス半分の琥珀色の波を揺らしてみせる。
「…何か飲むか?」
「お付き合いしましょう。ただしノンアルコールでお願いします。…何ですか、昼間から」
きりがないと知ってはいても、見てしまっては言わずにいられないマリクだった。
マリクに色よい返事をもらって、キリディックはにこっと笑った。秀麗といっていい美貌が浮かべる、人好きのする微笑。一見ただの遊び人にも見られかねない…いや、それに関しては満更誹謗中傷というわけでもないのだが…彼の本質を見抜くものはそう多くない。
キリディック=トゥグリーフ連邦駐在副使。…アル・アティル星系帝国の政治体制において重要な役割を持つトゥグリーフ大公家の一門で、マリクにとっては直属の上司である。名ばかりの栄職をもらって遊び暮らす権門の御曹司、という世評がこの人物の一面しか見ていないことを、マリクは知悉していた。そして、こんな笑みを浮かべるときの上司が、大体においてよからぬことを考えているということも。
傅役として配置されている以上、ここは逃げられない。マリクは上司に追随することにした。
その上司は、優美な動作で立ち上がって…グラスの中身をさらりと乾した。
「最近、いい店を見つけたんだ。少しつきあえ」
マリクは確信した。…間違いない、また面倒事に首を突っ込むつもりだ。
***
「こ…れは」
「…FIOセントラル・オフィス勤務のお前なら知ってると思ったぜ。何とかいうおっさんがえらっそーに言ってたけど、連邦でいまのところ一人の特異能力だって?」
その当人がえらく平然と言う。だが、シェインはそれどころではなかった。この部屋の外の状況に愕然としたのだ。
────もう完全に、シェインは共犯扱いされていた。…無理のない状況ではある。牢破りをやらかした人間をかくまっている、と言われても釈明のしようがない。
「…おいこら、どうしてくれる・・・!」
シェインは侵入者を睨みつけた。…まさか。
「…ケイ、お前最初からそのつもりで…!」
「人聞きが悪いなぁ。選択権はまだお前にあるぞ」
「この状況で選択権も何もあるか!」
「…話せばわかるんでない?」
「この野郎、そううまく行くなら世話は無い! …ってか、最初っからそうなるってわかってただろ!」
シェインは怒鳴ってからソファに座り込んだ。淡い色の髪をかきまわしながら、宙の一点を凝視する。
「…なー、シェイン」
「うるさい、声を掛けるな。ついでに言うと馴々しく名前で呼ぶな!」
自分が先に相手を発音し易い名前で呼んだことは完全に棚上げなのだが、ケイの方はそれについては文句を言わなかった。ただ、すこし憂鬱そうな面持ちで次々とICCの画像を展開させては消すという操作を繰り返していたのは、頭ごなしに怒鳴られた所為というわけでもなかったようだ。
ケイが操作をふと中断し、別のウィンドウを開く。プロファイルデータのようだった。
「第Ⅲ種危険因子…って何だか知ってるか?」
知っているも何も、情報部が監視対象とする個人・組織の分類のうちで危険因子分類は、最も端的なものだ。その形態は様々だが、ざっくり言えば第Ⅰ種なら即時逮捕・拘禁、第Ⅱ種なら常時監視、第Ⅲ級は定期的なフォローアップといったところである。
「…どこで憶えた」
如何に対処すべきかで頭をフル稼働させている最中である。目覚めた時にはすっきりしていた筈なのに、先程から鈍い頭痛に苛まれているシェインの返事はかなりおざなりというべきだったが、ケイのほうはそれに対しては至って寛容だった。むしろ、ひどく遠慮がちに…言ったものかどうか迷いながらというふうである。
「…った…犬が芸憶えてきたみたいに言うなよな。
お前のデータの中にあったんだ。第Ⅲがあるなら第Ⅰも第Ⅱもあるんだろう。実際、俺のファイルは第Ⅰになってた。どういう意味だか知ってたら教えてもらおうと思っただけさ。俺がこの先一体どう扱われるのか、一応識りたいからな」
「…俺の?」
驚愕に一瞬シェインの呼吸が停まる。
「うん…これ」
先程起こしたプロファイルデータのウィンドウをシェインの前に滑らせる。腰を浮かせたシェインはふたたびソファへ埋まらざるを得なかった。
自分のプロファイルデータなぞそれほどしげしげと見ることはない。しかしケイが示したウィンドウ…シェインのプロファイルデータには、見慣れたマークが付加されていた。
第種級危険因子。定期フォローアップも何も、情報部にいるなら実質的に常時監視されているようなものではないか。
「…そうか…なるほどな…」
シェインの口許が苦々しい笑いに歪む。やけに手回しがいい筈だ。要するに、もともと〝そういう奴〟というレッテルを、ひそかに貼られていたのだから。…しかし、何故。
シェインは頭を振った。それを今ここで詮議しても決して状況は好転し得ない!
――――昨夜から曇り気味だった空から、ついに雨が降り始めた。雨粒が強化ガラスに不規則な直線模様を描きはじめる。
徐ろに、シェインが立ち上がった。
今度はケイが茫然とする番だった。シェインが、やおらロッカーに歩み寄ると、物騒な代物を次々と引っ張り出し始めたからだ。
「…シェイン?」
椅子から立ち上がっておそるおそる声をかけたケイに、シェインは無造作にその「物騒な代物」の一部を抛り投げた。
「そら」
「…うわ!」
いきなり持ったこともないような小銃と電磁警棒をホルダーごとパスされて、ケイは受け取ったものの、思わず三歩下がってしまう。
十秒に満たぬうちにシェインは装備を終えた。表面上はえらく軽装ではあったが、すっきりしたスーツの下によくもというほど大量の武器が仕込まれていくのを見るのは、さながら奇術を見ているようだった。
「…おーい、シェイン…?」
完全に二人の精神状態は逆転したようだ。
「準備はいいか!」
「待てよ、準備って何、準備って!俺にこれをどうしろって!」
「手間のかかる奴だな。とりあえずそのブルゾンを脱げ!ホルダーつけてから羽織るんだ。ああ、そのブルゾン…結構ポケットがありそうだな。脱いで寄越せ、モノは持てるだけ持っていかなきゃならん。…って、そもそもホルダーの付け方が判らんか」
「判ってたまるか、奴らがどう認識してよーが、こちとら至ってゼンリョーな一般市民だぞ。草刈り機のストラップならともかく、銃とか電磁警棒のホルダーの付け方なんか知っててたまるか!」
「何でそこで草刈り機が引き合いに出るのかが謎だが、いい、つけてやるから立ってろ」
「おーい、つけられたところで使えないぞー…」
「持ってついてきてくれればそれでいい。俺が寄越せと言ったら寄越せ」
「俺は武器庫か?」
「何とでも言え。あの人数を捌くには素手じゃどうにもならん。どのみち火器は必要なんだ。生きてここを出たいんだろう。
No buts,Follow me!」
もはや問答無用な段取りの付け方ではあったが、とりあえずこの場で逆らっても仕方ないと腹を括ったようだった。あっという間にもはやどこから見てもテロリストのような格好にされた上から、ケイには何やら見当もつかない火器でずっしりと重くなったブルゾンを着込む。
「うわー、重…。こんなんで走れるかな」
「お前、100m何秒だ」
「ベストで10秒フラット? …って、学生ん時の話だぞ。公式記録でもないし」
「…悪くない」
シェインは軽い驚きをもってケイを二度見したが3、笑ってドアに歩み寄る。片手には既にピンを抜かれた手榴弾が握られていた。
「何がどうなってるのかさっぱりわからん。だが、俺だってこの状態で拘束されるのは御免だ。何としてもここを脱出する。全てはそれからだ。
賭けるぞ。お前に!」
ケイの返事を待つことなく、シェインがドアの開閉スイッチを押した。
ドアが開く。途端にオフィス内に光条がなだれ込んだ。
***
───FIO長官執務室。
その女性は、アラームで埋め尽くされた画面が開いては閉じるのをいっそ昂然と俯瞰していた。
FIO長官アウレリア=アルフォード。
ハイバックの椅子に座した背筋はぴしりと伸びているが、年齢は不詳としか言いようがない。その肩書きさえ知らなければ、20代から40代までどう言われても納得してしまいそうだ。特に人目を惹くような美貌というわけではないが、色の淡い髪を結い上げ、セミテーパードのパンツスーツを凜と着こなしている。
鳴り続けるアラームを全てカットした静寂を、インターコムのコール音が遮る。
「状況は?」
至極端的に、誰何さえすることなく女性は訊いた。
【…芳しくありません】
インターコムの向こう、シラセ保安主任は、たじろいだような空隙の後…ようやくそう報告した。この緊急事態に、まったくトーンが変わっていないことを訝るのは間違っているのだろう。そうでなければ若くして情報機関の長などなれるわけもない。
「シラセ大尉、具体的に」
【失礼しました。少佐とクサカベはオフィスを放棄して本部内に潜伏…いや、逃走しているのは確かなのですが、今のところ所在が掴めておりません。散発的な戦闘は起きているのですが、二人の姿が確認できていないのです】
「二人とも、一緒に動いているのは確かなのね」
【おそらくは。一体、シェイ…リスト少佐に何があったんでしょう】
「大尉。まさか、リスト元少佐が戦闘経験ゼロの民間人に制圧されて逃亡を幇助している、などというシナリオを信じている訳ではないわよね?」
【あ、いえ…】
シラセは口ごもった。そんなことはあり得ない。あり得ないが、よりによってあのリスト少佐が本部ビル内でテロに及んだというシナリオにしたところで、信憑性は限りなく低いのではないか。
「一刻も早く身柄の確保を。最悪、本部ビル内の管理システムが全て敵に回る可能性がある。以後、連絡は災害用のトランシーバーに変更、早急に全システムを強制停止。停止を受け付けなければ電源を落としなさい。物理切断も許可する」
要はソフトウエア上で電源が切れなければ、電源システムに至る電源供給ケーブルを切断することさえ認めるということである。シラセは息を呑んだ。
それだけの脅威なのだ。恐るべき命令であったが、決して凄まじい剣幕というわけではない。むしろ淡々としていた。それが却って恐ろしい。
連邦情報部本部ビルでのテロは確かにおそるべきことではあるのだが、状況にあまりにも不可解なことが多すぎる。だが、この際反問できる状況でもなかった。…できるのは復唱だけ。
【…以後、連絡は災害用のトランシーバーに変更。全システム強制停止、最悪の場合電源ケーブルの物理切断も許可…了解】
「よろしい。すぐにかかって」
【はい】
インターコムのスイッチを切り、彼女は深く一呼吸ついた。それは、見るものによっては溜息と表現するであろうものであったが…すぐに動作のペースを元に戻して個人用の携帯端末を開いた。呼び出した番号には、速やかな応答があった。
【面倒な事になっているな】
「ランディ、すぐ来て」
その声には、先程までの氷壁のような冷たさ以外のものが滲んでいた。…強いていえば、不安。
【ああ、もう着く】
オフィスの扉が開く。際立った長身の、黒髪の男が足早に入ってきた。
***
爆発音。通路を警備員が吹っ飛んだ。
「…お前って、過激だったんだなー…」
「何を言う。誰のせいでこうなったと…思ってる!」
“…”の間にまた一つ手榴弾が飛び、数瞬の後、数的には圧倒的優位のはずの包囲陣の一部が爆風に散った。
「廊下とはいえ、屋内ん中で手榴弾…FIOってとんでもないトコだなー」
「なんかいったか!?」
こいつ絶対、車のハンドル持たすと性格変わる奴だ。
大人しく従者に徹しておくのが平穏無事の秘訣と悟ったケイは、余計なコメントも控えることにした。
「これからどうするんだ?」
「このままじゃ割に合わん。一働きしてもらうぞ」
「何させるつもりだ…?」
ケイは何やらいやな予感に襲われて聞き返したが、シェインの返事を銃撃が遮った。流石というか、巧みに位置を変えながらも向こうの銃撃を避けられる場所を確保しているから、さしあたり跳弾や榴弾に気を付けておけばよさそうだった。
「どこからならアクセスできる?」
「アクセスって…ええと?」
「この建物を管理してるシステムだよ。お前、そういう能力なんだろうが」
「ええと、建物の管理システム? そーだな…直結じゃなくていいからどっか端末ない?俺の携帯、連中に取り上げられたまんまなんだ。この際空調の管理端末でもいーや」
「何だ、普通に携帯端末使うのかよ。まあいい、端末…か。よし!」
また一つ、手榴弾。向こうが怯むのを見計らって近くの部屋の一つに飛びこむなり、シェインが廊下の左右に向けて一発ずつ、計二発撃った。
目前の廊下の左右で防火シャッターが滑り降り、その部屋への追撃を塞き止めた。その上で部屋のロックも下ろす。
「ほら、一息つけるぞ」
「…は」
ケイが文字通りその場にへたりこんだ。短距離走は苦手ではないが、射撃を避けながらのインターバル走なぞ未経験だ。
「正直だな、お前」
「お前が一息つけっていったんだろ」
「…ここで問題」
ケイの文句をあっさり遮って言う。
「ここは建物の中。圧倒的無勢。こういう時は、どうする?」
はたと手を拍って、ケイが立ち上がった。
「…攪乱だ!」
「合格。やることはわかるな?」
「シェインとこへ行くときと逆だ。囮になる偽ログをバラ撒きまくって本当の騒動の中心をわからなくすりゃいいんだろ? その間にそーっと逃げ出すと」
その答えに、シェインがやや興味深げにケイの顔を注視した。…有り体に言えば、やや意地悪い表情で。
「…そうか、収監されてた場所から俺のところまで…ひたすらセンサーに偽データをかましてすり抜けたのか。騒ぎが起こる前ならそれでいいが、逃亡がバレて工作の痕跡を辿られると、一発で行き先が判るやり方だ。早々に居場所がバレたのも多分それだな」
シェインの視線に微妙な居心地悪さを感じつつ、どうやら幾許かは自分の話を聞いてくれるらしい、と判断して、ケイは薄暗い部屋の中を見回しながら口を開いた。
「これでもいちばん工作しなくて済むルート探したんだけどね…や、それでも結構な手間だったよ?矛盾がないように工作するの、大変だったんだから」
「ふうん…」
そうやってわざわざ手間暇かけて人を面倒に巻き込んでくれた訳か。…とまでは言わなかったが、やや不穏な雰囲気を嗅ぎ取って、ケイは表面上はいそいそと壁面に埋め込まれたコントロールパネルに歩み寄る。
「はいよ、仕事しますよせっせとね…」
その小さなパネルは空調と照明の管理、非常用のインターフォン機能を兼ねていた。
ケイは数秒ばかりパネルに手を触れたまま、黒色の小さなディスプレイを凝視する。何を操作するでもなく、やがて手を離す。突然ディスプレイが起動した。照明のスイッチも入って、一気に明るくなる室内。空調も動き出した。
シェインはケイの挙動を腕組みしたまま驚異の眼差しで見つめていたが、思わず腕組みをほどく。ここは予備会議室だ。普段は待機電源すら発生しないように正規のIDを持った人間の使用申請に基づいて初めて電源が割り振られるようにできているから、本来IDがない筈のケイの操作に反応することはない。
「さて…と。バラ撒く囮はこんなもんかなー…」
────ややあって、ケイが振り向いて親指を立てた。
「ほい、まあこんなもんでしょ。ついでに電力供給システムにも偽データかまして数カ所電気火災が起こる仕掛けもしといた」
「たいした技術だな…」
シェインがそう嘆息すると、ケイはきまり悪げな苦笑を浮かべる。
「莫迦ぬかせよ。これの所為で、俺はこんなところに連れてこられた。こんなよく理解んねえ力のためにだぞ?ついでに技術とかじゃねえよ。技術ってのは努力して身につけるもんだろ。俺はこんな能力、要らないってのに」
「…だが、連邦が目の色を変えるのもわかる」
端末を介する事なく、精神波…対人的に言うならテレパシーのようなものでもって、電子回路にアクセスする。パスワード、暗証番号、生体認証その他のセキュリティ手段は全くこれに対して無力。情報を掴むにとどまらず、そのシステムが司るものにまで干渉できる。
俄にはとても信じられないが、少なくとも連邦はそう認識していた。そして実際にこの場面を見てしまっては、その認識を追認せざるを得ない。
工作の過程にしても、本来これだけの工作をしようとするとワークステーションから複数のウィンドウを立ち上げる必要がある筈なのに、環境コントロール端末…言わばエアコンのリモコンスイッチに毛が生えた程度のディスプレイの中で全てを完結させてしまった。
周到なハッカーならネット上に工作用モジュールを山ほどストックしているから似たようなことはやってしまうかも知れないが、それにしても入力デバイスのない状態ではかなり限定的になる筈だ。
物理法則を超えているのは明らかだった。だが、その物理法則を超えた能力者はただ憮然としてぼやくのだ。
「俺の知ったことじゃない…」
脱出の時の手口からいって、ケイは特異能力を持っているにしても全くの素人だ。至ってシンプルに、謂われなく拘束された上、地球まで連行され拘禁されたから必死で脱出し、見回して多少でも自身のことを知っていそうな相手を巻き込んで逃走を図っただけのことなのである。
――――迷惑な話には違いない。だが、シェインとて知らぬ間に第Ⅲ種危険因子とラベリングされていた身だ。遅かれ早かれ、捕殺される危険はあった。だったら、能動的に第Ⅰ種までのし上がって、しかも最も効率的な脱出の仕方を図るという選択肢だってあっていい。
「…悪かった。忘れてくれ」
シェインは嘆息し、素直に謝る。それを見て、ケイは屈託の無い笑みをした。
「警備部保安課の無線は抑えてるから、向こうの動きはわかる。このビルを出るまでは、ここのシステムそのものが俺たちの味方だ。さて、どうする?」
「…地下一階の駐車場だ。極力交戦せずにいけるルートが算出できるか」
「やってみる」
シェインが部屋のロックを開けた。先程の防火扉はまだ破られていない。
「えーと、サーチ完了。今のところ全速で駆け降りたらドンパチは避けられそうだ。シェインの端末にルート出す?」
「いや、いい。俺の端末は情報が筒抜ける可能性があるから置いてきた。了解だ。先に行け。俺は後ろをついていく。万が一保安部員に出くわしたら変な気は起こさず即座に伏せろ。俺が撃つ」
「変な気って…まさか、いまさら投降とか?」
「そうじゃない。預けてある武器でどうにかしよう、とか思うなってことだ。素人には扱いかねるものもある。怪我したら損だろう」
「ひえっ…何を持たせたんだよ?」
「安全装置を解除しない限り暴発なんかしないから、安心して転がれ」
「…ってことはするのか暴発!?」
「だから下手にいじるなと言ってる」
「いーよわかったよ、大人しく転べばいいんだろ」
ケイは不貞腐れつつもシャッターの制御装置に手を触れた。シャッターが上がる。その向こうに、敵はいなかった。
だが突如として、背後で重い音がする。シェインが声もなく昏倒していたのだ。
「…シェイン!?」
ケイは肝を潰して駆け寄った。意識を失っていたが、外傷はない。ともかくもシェインを肩で支え、上げかけたシャッターをまた下ろす。
「おい、シェイン!シェインってば!」
力の限り揺さぶったが、呼吸はしているものの反応がない。
「おーい、一体どうしたってんだ…頼むよー…俺、どうしたらいいんだよ?」
***
「…聞いてないな?」
「え…あ、すみません」
大使館近くのカフェ。キリディックが軽く吐息してグラスを置いた。
「今朝の件、まだ引っ掛かっているのか? もう解決したんだろう?」
「はあ……」
マリクは曖昧な相槌で応じた。答えに用いるべき言葉が見つからなかった、と言う方がより正確ではあった。結局そのまま、ティーカップの中に視線を落とす。
今朝方、ちょっとしたネットワークトラブルがあった。専門の職員が対応、数分で復旧。大使館のシステムに対する影響は感知されず、その後何も起きていない。そこまでは、マリクもこの上司に報告を入れていた。だが実はこの時、気になるデータが大使館のデータバンクに追記されていたのである。
触らぬ神に祟りなしというが、黙殺するにはあまりにも重大な事項が含まれていた。
だが、連邦と事を構えることになってはまずい。その判断から、マリクはそのデータについての報告を上司にあげるのをためらっていた。
報告をあげれば十中八九、キリディックはこの件に首を突っ込むだろう。悪いことには渡りに船の用務も入っている。
なかったことにする、という選択肢はあったかもしれない。だが、それが出来るほどマリクは冷徹になりきれないのだった。
そんなマリクを見るキリディックは、彼を心配しているようでもあり、反面なりゆきを楽しんでいるようでもあった。…が、ともかく。上司は口許に嫌味の無い笑みを浮かべて言った。
「それはそうと…済まないが、マリク。午後からの予定、キャンセルしておいてくれ。ちょっと別件が入ってな。宙港の使用許可、とったままだったのを忘れていたよ」
さらりと言われて、マリクは思わず肩透かしをくったように上体を揺らめかせてしまった。
「…は?」
「だから、カ・アタ・キルラ4での式典。例によって体調不良ってことにしといてくれると助かるな」
「またですか。気紛れなんだから。別件って…今度は何処のお誘いです?」
キリディックは悪戯っぽく微笑い、立てた示指をかるく唇に当ててみせる。
「内緒。…お前に迷惑はかけないよ。勿論、随行も不要。公式には邸内で療養中ってことでよろしく」
「その言葉を信じられるなら、どんなにいいでしょうね…」
そうは言いながら、どうやら今回は地球で大人しくしてくれるらしいということにほっとしたマリクは、片手でティーカップを持ったまま、それでも表面しかめつらしく取り出した携帯端末を操作し始めた。
「大体、なんですか“勿論”随行不要って…私の立場、まったく忖度してくれませんよね。トラブルになったときに叱言くらうのは私なんですが…」
そして、ふと手を止める。今回の用務先であるカ・アタ・キルラは月面だ。軌道エレベーターで宙港へ上がり、そこからはシャトル。公務だから大使館のシャトルを使う予定でスタンバイしてあるはず。
いささか慌ただしくティーカップを置くと、マリクは立ちあがる。
「すみません、急用です。宙港の件は処理しておきますから。それと、何処の御令嬢でも令夫人でも構いませんが、揉め事起こさないでくださいね! 体調不良の人は家で大人しくしててください!」
「了解だ、マリク。おとなしくしてるよ」
キリディックの誠意に欠けた返答をまともに聞かず、マリクは急ぎ足で店を出て行った。それを柔らかな微笑で見送っていたキリディックだったが、マリクの姿が視界から消えてしまうと、ふうっと吐息する。
その瞬間、キリディックの口許から笑みが消えていた。彼にとってはマリクの考えることなど、9割方読めているのだ。…生真面目だが詰めの甘いところも承知していた。
「…さて、どこがどう出るか」
笑みが戻る。代わりにその双眸に危険な色彩が閃いた。
***
「…大体俺、無理矢理こいつを巻き込んじゃったんだぞ! いや、それは判ってるけど。どー考えても巻き込まれたって思うだろ普通!」
シェインは朦朧とした意識の中で、半分以上泣きの入ったケイの声を聞いていた。誰だ?誰と話している?
胸腔内にいきなり新鮮な空気が流入したような気がして、シェインは噎せ返った。暫く咳込む。
「シェイン!おいっ、大丈夫なのか?呼吸してるよな?」
シェインは飛び起きて周囲を見回した。先程の予備会議室だ。一旦は廊下に出た筈だが、シェインが倒れたためにケイが会議室まで引きずり込んだらしい。
「…俺はどのくらい意識を失ってた!」
この状況では、五分ほどだとしても詰むには十分な筈だ。
「んなもん測ってねえよ!あー吃驚した!」
泣きそうな顔でへたり込んだままのケイを見遣って、シェインは軽く頭を振った。
鈍い頭痛は続いている。パニックに陥りそうな自身を強制的に現在ある問題にのみ集中させるために、シェインは凄まじい労力を要した。
「ええと、3分あったかどうか。お前が急に倒れるから、吃驚したんだ。怪我じゃないんだよな?」
「んなもん、みりゃわかるだろ…
検索したルートが有効な間に移動を完了させなきゃならん。行くぞ、まだそのルート、有効なんだろうな?」
「あ、うん。それは大丈夫」
ほっとしたような表情を見せるケイに内心の動揺を悟られないよう、努めて端的にシェインは言った。
「済まない。とんだタイムロスだった。…行くぞ」
***
「ナビがあるとはいっても…まあ不安っちゃ不安だよな。ほら、個人端末についてるルート検索アプリ…あれ、昔はうかうか信じるととんでもない処へ連れてかれたんだってさ」
状況を甘く見ているというより、黙々と階段を降りるのが気詰まりなのかも知れない。ケイが思い出したようにとりとめのない話題を振ってくるから、シェインとしては幾分生返事に近いリアクションにならざるを得なかった。
いくつかの通路を経由して、今二人が降りているのは薄暗い階段であった。
本部ビルを改装した際にない事にされている非常通路であり、盲点ではある。非常階段と言うより階段をのついた作業坑の様相を呈していた。
途方もない高さがある。保安灯のぼんやりした光だけの薄暗い空間の中央には、螺旋階段の中央を貫いて用途不明な古びたフレームが聳え立つ。その周囲には天井からケーブルやワイヤーが無数に垂れ下がり、薄暗い下層へ伸びていた。ケーブルは時折壁面に開いた通風孔からも伸びており、中央のケーブル束に合流していた。階段の下を這わせてある場合が殆どだが、いっそ立ち入り禁止のロープめいて目の前を横切っていることもある。
さながら、廃坑の最下層で芽吹いた蔓性の植物が…光を求めて竪穴を這い上り成長しているかのような不気味な様相を呈していた。
――――予備会議室を出てからこの長い階段に辿り着くまで、途中一度だけ保安部員と遭遇した。
シェインが一撃で倒したが、保安部員が携帯端末を持っている事に気づいたケイは、早速その携帯端末をせしめた。コントロール下にあるシステムの情報はある程度分かるが、状況の変化があった場合、把握に時間が掛かるのだという。
「…一体どういう仕組み…いやまぁ、物理法則を超えた能力にそれを言っても始まらんか」
シェインはさしあたってケイの能力について詮索することを諦めていた。できると言ったらできるのだろうし、できないといったらできない。だったらそこは自分がフォローすればよい。シェインはそう思うことにした。
地下駐車場まで行き、そこから車でビルを出る、それがシェインの基本計画であった。地下1Fパーキングからは人間の出入りはできない。車が出入りできるだけだ。シェインのIDは差し押さえられているから、彼らはここからは出られない理屈が成り立つ。だが、そこがシェインの目論見でもあった。何も自分の車である必要はない。IDシステムをごまかす有効な手段があるからだ。
ケイが算出したルートはまだ有効らしく、その一度以外は特に問題なく進むことができた。
「地球はそんなことないんだろうけど、エルウエストのGPSって結構ドンブリでさ。測位システムの衛星の数が少ないとかで、割といい加減だったんだ。まあ、ああいうところだから…それでもあまり問題は無いんだけどな」
「エルウエストか…まだ開発途中の農業惑星だったな。そうか、それで草刈り機か。自治体はあるがまだ連邦の保護下にある…」
「古い言葉でいうと植民地だよな。地球型の温順な気候帯が広い、ってんで植民の前段階としてべらぼうな規模でプランテーションやってるって訳。まあそれでも工場栽培の食糧より付加価値高いから、連邦に利益がっぽり吸われても、贅沢言わなきゃ生きてはいけるからな。
そーだ、どのみち地球にはいられないんだし、お前もエルウエストに来るか?」
ケイの至って太平楽な誘いにシェインは思わず項垂れた。
「悪くない申し出なんだが、連邦にバレんわけがないだろうが」
「そーかなぁ?宇宙なんて広いんだし、ひと一人どこへ行ったとか結構わかんないんじゃない?」
「まさに広すぎるから、移動するための手段が限定される。月や火星くらいならともかく、太陽系外なんて門を使うしかないんだ。門の運用は連邦の専権事項だからな。抜け道がないでもないが、連邦にまったく悟らせずに太陽系外に出るなんて不可能に近いんだぞ」
「ふーん、そうなんだ」
「今知ったみたいに言うな! …って、なんで俺がこんな処でジュニア・ハイの社会科授業みたいな講釈を垂れにゃならんのだ」
「いやまーそれっぽいことは習った気がするけどさ、ほら、とりあえず日々の暮らしには関係ないし!」
「…ごもっとも」
ひとつの惑星上で生まれ、そこで一生を終える者が大多数であることを思えば、ケイの感慨はある程度の説得力はあった。シェインは仕事上他星系へも往来するから当たり前のこととして捉えるが、その感覚にはかなり乖離があるのだと改めて感じていた。
「〝…その乖離が他星系へ散った人類と連邦政府との間に隙を生み、やがてそれは軋轢となる…〟か」
「…何?」
シェインの低い呟きが聴き取れずにケイが足を止めて振り返る。
「ああ、悪い。気にせんでくれ。親父の手稿にあった文章を思いだしただけだ」
「親父さん?…そういえば、元気?」
「だいぶ前に車の事故で死んだ。俺も同じ事故で死にかけたがこうして何とか生きてる。でも…あぁ、ホラ、足を止めずに。走った走った」
ケイは怪訝な顔をしたが、深く詮索することもなくまた段を降り始めた。
「いーけど…さすがに疲れたなー…」
「あとどのくらいだ? 俺の職場といえばそうなんだが、俺だってこんな奥の奥まで入り込んだことはないからな。言いたかないが此処が何処なのか見当もつかん。お前が頼りなんだぞ」
「うん、まぁ…もう少しなんだけど。数字、要る?」
延々と続く階段の途中には等距離に3m四方ほどの踊り場があった。作業通路への小さな鉄扉があるからだが、そう言ってケイがその踊り場のひとつに立ち止まり、ポケットに手を突っ込んで先刻の端末を探りはじめるから、シェインはあっさりと先を促した。ここで足を止めてもつまらない。
「いや、いい。その分走れ」
「へーい…っ…!」
その時、歩き始めたケイの姿が一瞬で消えた。…否、錆び付いた鉄扉が丁度シェインとケイの間で突如として開き、シェインの視界を塞いだのだ。
シェインは咄嗟に一歩後退したが、ケイの悲鳴に状況を察する。
古い扉だったのだろう。軋む音と共に、蝶番が弾けて扉が外れた。外れた扉はシェインにのし掛かったが、シェインはそれを咄嗟に蹴り上げ階段の手すり越しに階下へ放り出す。
その瞬間に見えたのは、襟首を掴まれ壁面にぽっかりと空いた薄闇に引き込まれるケイの姿だった。
錆びた鉄扉に阻まれた数瞬のタイムロス。シェインは内心で舌打ちした。
「――ケイ!」
すぐに後を追おうとしたシェインの頸部に、背後から細いワイヤーが絡みつく。急激な呼吸困難感とともに後方へ引き倒されそうになり、シェインは反射的に背後へ向かって肘打ちを放つが、躱された。
ワイヤーの頸部圧迫による意識消失。その前に身体を反転させ、自身の頸部を絞めている何者かを確実に捉えて、蹴りを入れた。今度は確かな手応え。昏くなりかかった視界に頼ることなく、その手が捉えた対象を引き倒し、抑え込んだ。
膝下に抑えた対象の中央に銃口を擬し、シェインはようやく回復した視界でそれを認識する。
予測はできた。だが、信じたくなかった。
「…ランディ…」
シェインの背を冷たい汗が滑り落ちる。膝下にありながらシェインを昂然と見上げ…その男は薄い笑みを浮かべた。
「…撃てるか?」
「撃てるね」
即答であった。
ランドルフ=ダグラス。養成校時代のシェインの教官であり、任官後は上司であった男だ。…だが、シェインはつい2時間ばかり前にFIOセントラルオフィスメンバーを除籍されている。全ては過去形だ。
「あんたらが俺たちにしたこと…それを思えば、然程難しいことじゃない」
「思い出したのか」
「つい先刻だがな」
「だったら何故すぐに撃たない?」
「…撃つさ」
銃把を握る手がぶれそうになり、シェインは奥歯を噛み締めた。シェインの手にした銃は既に安全装置が外れている。それをダグラスも理解しているはずなのに、至って泰然としていた。
「人質交換の材料。定石通りさ。人質として役に立たない、ないしは制御不能なら即座に消去するだけのこと。引き金を引くのはその時だ。他でもない…あんたが俺に教えたことだろう。
…まあその前に、戦闘力を削いでおく、というのは、ありだろうな」
無理矢理浮かべた微笑が引き攣るのを、隠しきれたかどうか。シェインは銃口を右肩へとずらして、引き金を引いた。呻きと共にダグラスの身体が戦慄く。…だがそれだけで、ダグラスは平静を保って口を開いた。
「…なるほど、的確だ。…クサカベは此方の手の内に落ちたという想定か…アスティン」
ダグラスの右肩から先は義手であり、必要に応じて感覚遮断もできる筈だが、間に合わなかったようだ。相応の疼痛信号が接続されている神経組織を駆け上がったというのに、まったく動じていない。
「その呼び方はやめてもらおう。他にどういう想定が出来るのか、訊いてみたいな。俺と違って連邦にとってはケイの能力は唯一無二。余程のことがなければ殺されることはない。だったら捕獲されたという判断が妥当」
「よろしい、冷静だな。だが、それなら俺程度と引き換えられると思うのは些か短慮というものだ。もうひとつ…制御出来ないなら消去、という選択肢が存在するとは思わんか?」
ダグラスの視線はシェインの注意を壁面に空いた薄闇の穴…先程の出入り口へと誘導する。
そこにはケイの頭部に銃口を擬したFIO長官…アウレリア=アルフォードの姿があった。
「…長官…!」
「悪い、シェイン…。この姐さん、鬼みたいに強いや」
――――To be continued