風の如くに Ⅵ

frozen heart

 宮廷の、この独特の雰囲気が嫌いだ。
 朝議の間。緊急に呼集された廷臣が呼吸を詰めて居並ぶ中、奏者壇まで進み出たサーティスは目の前の年若い国王…カスファーの息子を、礼を失しない範囲で観察した。
 どちらかと言えば造作は母親似かもしれない。だが、ふてぶてしさの権化のようなあの女レリアよりも、優柔不断なカスファーの雰囲気を継いでいるような気もした。
 颯竜公としての正装は、そのあかしたる腕輪と剣に象徴されるように武官のものである。だから格別に窮屈とは感じない。ただ、雁首揃えた廷臣どもの、度し難い鈍重さが癪に障る。
 そのくせ保身にだけは鋭敏で、約20年ぶりに突如として現れ、今強大な権限を与えられようとしている「先王弟」「颯竜公」に怖々こわごわと…だが値踏みするような視線を送ってくるのだ。
 サーティスは内心で舌打ちする。どうしてこんなことになったのだ?
 その主因たる青年は、今この場にいない。傷の縫合手術の後、麻酔から覚めてすぐに精力的に動き回った結果、当然の帰結として熱を発し…意識を失ったのだ。リオライ=ヴォリス。かつてノーアへ放擲されたという前宰相の次男。
 ――――ライエンの、弟…。
 かつて、敵だらけの王都でただ一人サーティスの味方であったのは、皮肉にも宰相の一族、ジェドが期待をかけた後嗣たるライエン=ヴォリスであった。サーティスに剣の稽古をつけ、広く大陸の政情を教授し、そしてあの日、サーティスを庇ってレリアと争い、結果として命を落とした。サーティスがなんとか西方へ落ち延びたのも、ライエンの負傷・危篤という事態が宰相一派の動きを鈍らせたからだった。
 ライエン亡き後ノーアから呼び戻されたという、ライエンとは似ても似つかない黒髪紫瞳の少年。我儘放題に育った次男坊。そう思っていた。だが、瀕死の重傷を負いながら昂然と己の職務に向かおうとする年若い宰相の双眸に、不覚にも胸を衝かれた。
 反則だぞ、ライエン…。
 まったく趣の違うはずの双眸が、返済しきれない負債を思い出させ、与えるつもりのなかった諾を与えてしまった。
「…『颯竜公レアン・サーティス』…叛乱追討軍の総司令官として任じ、貴方に全軍を預けます」
 首謀者のうち、王太后レリアは拘禁されたが、前宰相の弟にあたるシードル卿は宰相暗殺の不首尾を悟って王都東側の砦へ落ち延びた。シードル卿には衛兵隊第一、第二隊の隊士十数人も同行しており、東部国境のラクツ将軍の守るカルミキア城へ合流する心算らしい。
 母親がクーデターに参画していたことを知らされたばかりにしては、国王リュースは存外に平静であった。…尤も、2年前に叔父が祖父を弾劾・更迭する場面を目の当たりにしてしまっては、いまさら驚くべきことでもないのかもしれない。
「…拝命します」
 最上礼をとり、サーティスが立ち上がる。事前にこの人事については情報が流れたはずだが、改めて廷臣の間にざわめきが駆け抜けた。
「…軍の編成、物資輸送等、準備について補佐ないし幕僚が必要なら、宰相が力になれるとのことですが…どうなさいますか?」
「有難き御申し出なれど、宰相閣下も叛乱軍の手の者に命を狙われた由…御身の周りが手薄になってはなりますまい。陛下がお許しあるなら、衛兵隊第三隊をお貸し頂きたい。第三隊のエルンスト隊長が私の旧知なれば、にわか司令官が陛下よりお預かりする軍を纏めるに十分な働きをしてくれるでしょう」
 流石に、押し殺した呻きに近いささやきが走る。
「傭兵隊を司令官直属軍にだと…!」
 王族が司令官として出陣する場合に直轄軍として衛兵隊がつくことはむしろ当然だが、通常は第一隊がその任にあたる。だが、第一隊はリオライの暗殺未遂事件において大量の逮捕者・負傷者を出していた。企てに声をかけられることもなく、蚊帳の外にいたため今もおめおめと朝議に列席していた第一隊の隊長は与えられた屈辱に顔色を変えたが、もとより意に介すサーティスではない。
「問題はありません。第三隊を直轄軍として貴方に預けましょう」
「ご配慮、有難く存じます」
 廷臣たちのざわめきを後目しりめに、サーティスは悠然と退出した。
 朝議の間の外で控えていた二人が立ち上がる。レクシス、そしてエルンストであった。
 エルンストが何か言おうとして口を開きかけるが、サーティスは機先を制してぴしゃりと言い放った。
「そういうわけで協力してもらうぞ。まさか異存はあるまいな!?」
 傍から見ていれば頭ごなしに怒鳴りつけたとしか見えない剣幕だった。事実、初めて聞激しい語調に、レクシスの肩が跳ね上がる。だが、エルンストは笑っていた。
「俺は構わんよ。だが、“傭兵隊”が直轄軍だなんて…正規軍のお歴々が素直に言うことをいてくれるかね」
「諾きたくなくても諾いてもらう。言いたかないが、俺はこの国で一兵たりとも動かしたことはないんだ。お前らが動いてくれないことには、軍として成り立たん。引っ張り出した以上、それぐらいの責任は持て。使つかってやるから覚悟しておくんだな」
 そう言って歩き出す。凄んでも無駄とは判っていたが、言いたいことは言っておかねば腹に溜まる。エルンストは案の定、へらりと笑ってただサーティスに追従した。レクシスは微かに首を傾げたが、ともかくもエルンストに続く。
「わかってるよ。そう拗ねるな」
「一瞬の憐憫で千鈞のくびきを背負わされてみろ、拗ねたくもなる」
 サーティスが横目で睨んでも、エルンストは涼しい顔をしている。
「だが、お前がこの森を…王都ナステューカを焼きたくないという気持ちに嘘はない筈だ。さしあたっては、その気持ちに素直になってみるのもよかろう?」
 エルンストの弁に、サーティスは一瞬何かを言い返しかけ…複雑な表情で深く吐息した。

***

 カルミキアを目指したシードル卿は、同調者を募る算段で王都東側にある小さな砦に拠ったが、長居をしすぎた。
 サーティスはシードル卿がカルミキアへ進発するのに先んじ、雷霆の如き速さで第三隊の半分を差し向け攻囲したのである。慌てて包囲を切り破ろうとしたシードル卿は同行していた者の半数とともに自滅同様の戦死、残る半数は投降。この別働隊を指揮したのは負傷のために片腕吊ったままの副長セレスであった。
 この情報を知らずにカルミキアで挙兵したラクツ将軍は、カルミキア城を攻囲したエルンスト指揮する先遣隊(第三隊の残り半分+再編された南部軍)に対し篭城して抵抗したが、サーティスが率いた本隊の到着後半日ばかりの戦闘で白旗を揚げた。
 王都でのテロからカルミキアに白旗が揚がるまで、僅か五日間。世に五日間戦役と呼称される内戦のあっけない顛末であった。
 少なくとも数ヶ月前から綿密に練られていたはずの計画を短期間に壊滅させたサーティスの手腕を、宮廷は称揚しつつも畏れた。このことが、リオライが宰相職をサーティスに譲るという人事に誰も異を唱えさせなかったと言って良い。実際、そうでなければいかに先王弟と言えど20年近く故国を留守にしていたサーティスが突然宰相になるというのは無理があっただろう。
 ――――当のサーティスは、そんなことは毫も望んではいなかったが。
「…宰相閣下、気はお確かか」
 国王リュース、宰相リオライに颯竜公レアン・サーティスを加えた三者会談の最中、サーティスは苦虫を噛み潰す表情でそう言った。
「私は一度とて官職に就いたことはない。そんな者に宰相位を預けようとなさるなど、正気の沙汰とは思えぬ」
「何を仰る、〝颯竜公〟。その意義をご存じない訳はない」
 十歳以上歳下の宰相に、至極穏やかにそう言われて…サーティスは沈黙するしかなかった。
 颯竜公、異称を護国竜公。実態としては名誉職ではあるにしろ、歴とした公職だ。大陸史上最大最悪の災厄といわれた「狂嵐」を治めて大陸に平和と安寧を取り戻したと言われる聖風王の恩威に敬意を払うため定められた地位である。
 往古は「狂嵐」によって荒れ果てた大陸各地の国々を支援するため、シルメナ王室から派遣された公子公女に奉られた敬称で、現在で言う宰相家とほぼ同格の位置で国王の補弼にあたるとされる。…むしろ、歴史的に言えばヴォリス宰相家が代々国王を補弼するという仕組み自体が後から確立したものなのだ。
 五日間戦役に関して言えば、〝颯竜公〟の職分がほぼ本来の意味で機能したことになる。
 シルメナの国力が衰微するに伴い、その地位が名誉職の扱いになっていったのは致し方ないことではあった。しかし、母后が早逝した当時13歳のサーティスに、その立場を保証する意図で先々代ニコラ王が颯竜公位を与えた際、宰相家が戦慄したのは無理からぬことでもあった。法制上、国王直轄であるが故に宰相家がその任免に関与できないただひとつの地位だったからだ。
 それでもジェド=ヴォリスは当時のサーティスの年齢故に直近の脅威とは見做さなかった。そう見做したのは当時の王太子…カスファーの妃レリアである。あまりにも短絡的にそれを除こうとした末、宰相家はそれまで十分にその地歩を固めていた後嗣ライエンを喪うという災厄に見舞われることになったのだった――――。
 理屈としては通っているにしても、サーティスに言わせれば我儘でしかない。「知ったことか、今更!」というのは、紛れもなく本音である。かつて宰相一族のために王都を逐われ、西方で数々の辛酸を嘗めた彼に、今更、それも宰相位に就くよう要求するとは!
 だが、結局は引き受けざるを得なかった。リオライの体力・精神力はもう臨界点まで磨り減らされていたし、今の状態でサーティスが国王の補弼に当たることを拒否すれば、宰相位の後釜を狙ってまたぞろ叛乱の火種に風を送ることになりかねない事情を、サーティスは識りすぎていた。
 結局はツァーリを捨て切れない、サーティスの負けであった。
 ただし、宰相位は断固として拒んだ。颯竜公として国王の摂政位に就き、以後は国王親政を軸に体制を整えることで最終的な合意をみた。
 こうしてヴォリス宰相家は、リオライの退位を以て終焉をみる。

***

 ――――――我々のくびきが外れることくらい、期待したってばちは当たりませんよ。
 リオライに重傷を負わせた代わりに、自らも致命傷を追ってその場で絶命したディル。彼がどんな想いで、どんな経緯で今回の叛乱に参画したのかは結局分からずじまいだった。
 彼が受けたのはリオライの暗殺だった。リオライがエルンストと第三隊を重用していたことは周知の事実だったから、その副長ともなれば近づきやすいということを見越しての人選だろう。
 ディルの本名はディルムッドといい、リーンの旧家に縁のある名前であった。わかったのはそれだけだ。
 リーンといえば、講和成立直後に国内で主戦派と融和派が相争い、結果として国力を大いに削ぐかたちになってしまった事件があった。…だがその関係者とディルに何らかのつながりがあったのかどうかも今となっては判らない。
 遺恨憶えたるか。そう言ってリオライに斬りかかったというリーンの使者・ライゲイト伯ネイサンは調査の結果、使者としては偽物であったことが判っている。乱刃の下で結局誰に害されたとも判らず、計画の大部分を担っていたシードル卿が戦死していることからネイサンがどういう経緯でこの計画に参加したのかも調べようがなかった。
 講和締結直後のリーンの内紛について、リオライはツァーリへの波及を危惧して秘密裏に干渉を行っている。それを知ってのことか、それとも全く関係ないところでの逆恨みなのか、それすらも不明のままとなった。
 またも利用された形のイグナート伯は、爵位も子爵へ下げられたことからついに王都の森を出て、削られた所領へ逼塞することになる。

 衛兵隊第三隊隊長エルンストは隊内から反逆者を出したことに対し、戦役終結後に引責辞任という形で隊長職をおりた――――――。

***

「かなわんな、あの坊やには」
 サーティスはそういう台詞で、リオライの頼みを諾したことをセレスに伝えた。
 セレスは今、サーティスの居館たるセルア館と王城、ヴォリス邸の間を取り持つ連絡役としてひどく忙しい。衛兵隊第三隊隊長たるエルンストが部下から反逆者を出したことに対し引責辞任を表明して謹慎中であることもそれに拍車をかけていた。
「たまらんよ。あの坊やはノーアで好きなように生きられるんだろうが、私はここナステューカに一生繋がれなきゃならんのだからな」
 サーティスの少し拗ねたような物言いに、セレスは微笑う。
「それでも、十年務められる気はないのでしょう?」
「当たり前だ。十年も経てば国王も27。そこまでお傅りができるものか。
 ただ、宰相位は辞退だ。強情といわれようとこれは譲れん。その代わり摂政・・として面倒は見るさ」
 憮然として、サーティス。セレスは穏やかな笑みを保ったまま、静かに告げた。
「よくご決心なさいました。大変な時期に重責を担われるご心労…お察しします。微力ながら…私もお手伝いいたしましょう」
「…セレス…?」
 サーティスは、エルンストがディルの裏切りに関して隊長職を引責辞任するつもりであることは、既に知っていた。戦役を凱旋で飾った日、他でもないエルンスト本人がサーティスの前でぽつりと漏らしたのである。
『もう、疲れたよ』
 何に疲れたのか、サーティスは訊かなかった。…訊くまでもなかった。
 ディルは、付き合いの長さでいえばセレスよりも長かった筈だ。そのディルに裏切られて、外面はいかついくせに存外繊細なところのあるエルンストが傷つかなかったわけがない。内戦をおさめるまではと気を張っていたのが見え透いていただけに、少々痛々しくさえあった。
 もとより定住するのが似合う男でもない。西方と呼ばれる国々の、さらに西のほうからたった一人で漂泊してきた。この国には、たまたま長居をしただけのこと…
 だが、再び腰をあげるにしても…一人ではあるまいと思っていた。まさか、〝長居〟の所以を置いて行くわけはないと。
「…セレス…まさか…」
 らしくもなく、サーティスは言い淀む。暫時の沈黙の後、慎重に口を開いた。
「言っておくが、私への義理立てなら無用だぞ。…お前はセレスだ。エリュシオーネのケレス・カーラは…もういない」
「はい。存じております。
 〝ケレス・カーラ〟ならば…今頃、殿下に泣いていとま乞いをしていたでしょう。あのひとについていきたいと。命の限りその星霜を共にしたいと」
 静けさを装う深い碧の瞳が、そっと揺れる。だが、続けた言葉に揺らぎはなかった
「…ですが、セレスにはまだ、ここでしなければならないことがあります」
 凜然とそう宣する。サーティスは深く吐息すると、瞑目して片手でその両眼を蔽った。
「…判った、もう言わん」

***

 第三隊隊長は原則として前任者の推薦をもとに国王が任命する。セレスは自主謹慎中の隊長代理として宰相府へ出仕し、エルンストの辞職願と、自身が後任として指名された旨を上申した。
 報告を受けたリオライは、思わずこの研ぎ澄まされたレイピアのような女性と、旧知の友人の辞職願を代わるがわる凝視することになる。
 衛兵隊第三隊という、荒くれ者の集団にあって…雑然と置かれた戦斧や戦鎚の間に突き立てられた氷刃の如き存在感。その出自が、エリュシオーネの一族と聞いて腑に落ちた。シルメナを支える族長会議十二家と肩を並べる程の名家で、武に拠って立つシルメナ王家最強の守護者ガーディアン。その係累がアスレイア・セシリア妃の近侍としてこの国へ渡り、そのまま遺児たる颯竜公に仕えていたのだ。
 そのすえが何の故あって傭兵隊に身を置いているのかはともかくとして、王城との関わりを忌避する颯竜公の意向を汲んで、その関与について頑として口を緘したときの態度は納得がいく。
 その一方で、彼女セレスがエルンストの伴侶であることは、エミーリア=ヴォリスが紆余曲折を経てミティアの猶子となる前から知っていた。
 エルンストの隊長辞職は仕方あるまい。大量の逮捕者を出した第一隊の隊長も、泣く泣く職を辞したのだ。第三隊副長の立場に居た者が反逆者となって、しかも宰相の身に直接刃を立てたとあっては、いかなリオライでも庇いきれない。また、エルンストもそんなことは望んでいないだろう。
 だが、これから国政を担う颯竜公の旧知ということでもあるし、リオライとしてはエルンストに何らかの役職を用意して少しでも颯竜公に王都で動きやすい環境をととのえてから宰相を退位すべきだと考えていた。…だが、ほかならぬエルンストに謝絶されたのである。
 この国を出たい、というのだ。
 その希望については、聞いた時点でリオライは然程の違和感を感じなかった。だが、こうして後任者としてセレスの名が上がってくると話は別だ。
『〝何も約束できない〟…セレスには最初っから、そう言われてるんだよ。そういう在り方なんだ、俺達はな。…でも、俺は…それでもいいって言ったんだ』
 以前、エルンストからはそう聞いた。その言葉の意味を、その時のリオライは正確に理解できたとは言い難かったし…今もまだできていない。
 前任者・・・の推薦。つまり、セレスを後任とするということは、エルンストの意志でもあるということだ。
「立ち入ったことを訊くようだが…君は…君たちは本当に、それでいいのか?」
「――――はい」
 セレスは静かに言った。その表情から何も読み取ることができず…リオライは吐息ひとつついて瞑目した。
「判った。この件に関しては宰相の了承済とする。今後ともよろしく頼む。セレス隊長・・
「――――拝命いたします。閣下」