第弐話 雨の朝、優しい夜


Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「All’s right with the world」

「何処ほっつき歩いてたのよ、この大莫迦シンジっ!!」
 シンジは自宅に帰り、一応惣流家に電話で一報いれた。・・・そしてきっかり五分後に玄関扉を蹴破らんばかりの勢いで飛び込んできたアスカの開口一番がこれであった。
 しかも、頬に跡が残るほどのビンタつき。
「ご、ごめん」
 とりあえず、謝る。心配をかけたことは分かっていたから。しかしそのありきたりな反応に、もう一度アスカがキレた。
「もう、知らない!!」
 アスカがシンジの鼻先でドアを閉めた。思わず飛び退いて、ごく低いかまちに蹴躓く。おもいきりしりもちをついてしまい、一瞬声が出なかった。
 しかし、その後でシンジの顔に浮かんだのは、穏やかな笑みだった。アスカの罵声。それは畢竟、シンジの日常に欠くべからざる一部ではなかったか。
 教室に入ったらもう一発ぐらいやられるな、と思ったが、アスカはあれで自分を心配してくれている。

 ―――――――そう、気に懸けていてくれるのだ。

 意外に軽い気分で、鞄を肩に引っかける。

『あれ、誰よ!?』
 2-Aの教室は、ちょっとしたパニックであった。
 アスカが予鈴ぎりぎりで教室に滑り込んだとき、そのパニックの元凶が入れ違いにするりと教室を出ていく。
「・・・・・・!?」
 アスカも一瞬注目したが、こういうことには淡白だ。さっさと自分の席へつくと鞄を放り投げた。・・・・が、シンジがしゃあしゃあと自分より先に着いているのを見て、反射的に後頭部をひっぱたいてしまう。
「おはよ、アス・・・・っ!」
 友好的な朝の挨拶というものは、その衝撃で後半が流れてしまった。
「ちょっとアスカ、朝っぱらから」
 さすがにヒカリがたしなめる。
「いいのよ。こいつにはこれくらいのお灸が必要なの!!」
 当のシンジが苦笑いで済ませているのだから、ヒカリもこれでひっこまざるを得ない。
「それよりねえアスカ、見た?」
「何?」
「今の人。見かけないわよね。転校生かな?」
「さーね。3年生みたいだし。良く知らない・・・・」
 その時、ミサトがはいってきたので会話は中断された。
「バカシンジ」
「え?」
「あとでミサトんとこにもいって、謝っときなさいよね」
「うん、わかってる。ありがと、アスカ」
 穏やかに微笑まれて、アスカは一瞬ひいてしまった。が、どこかほっとする。
 何処で何があったのか知らないが、一応の再建は果たしてきたらしい。
 完全に自分が蚊帳の外だったのが、気に食わないと言えば気に食わないのだが・・・・・・・。

「ご心配をおかけしました」
 そつのない、言い換えれば可愛気のない言葉であったが、嫌味のない穏やかな笑みにミサトは安堵を感じていた。
「加持くんから連絡は受けてるわ。何があったかは聞かないけど、とりあえず無事で良かった。結局、お父さんとは連絡とれずじまいだし・・・・」
「父に・・・連絡したんですか?」
 一瞬だけ、「そつのない」仮面に感情の揺らめきらしきものが映る。
「そりゃそうよ。だって、生徒が一人失踪したんだもの。でもね、結局連絡取れなかったの。こっちからの連絡は届いたはずなんだけど・・・・」
「・・・いいんです。たぶん、届いてたって何にもなりませんから」
「シンジ君・・・・」
「本当に、ご迷惑かけてしまって。すみませんでした」
 ぺこり、と一礼する。何が変わったわけではないのだろうが、この失踪の間に何かを得たことは間違いないだろう。他人を安心させるための笑みではなくて、心の底から微笑むことができるようになる、何かを。
 それはそれで、喜ばしいことなのだ。一応は。
 教師控室を出ていくシンジを見送って、ミサトは携帯電話を取り上げた。
 短縮ボタンを押す。いくらも経たないうちに相手がエリア外とのメッセージが流れてきたので、少し乱暴に電話を切った。
「・・・・あの莫迦、どこにトンズラこいたのかしら・・・・」
 爪を噛む。「あの莫迦」とは、言うまでもない。今回の件に何らかのかたちで一枚噛んでいる筈の用務員・加持リョウジであった。

 5限開始。
「なんだい、早々にエスケープか?その内、時間数足りなくなるぞ」
 屋上の手すりに凭れ、漫然と空を見ているカヲルに、加持がそう声をかけた。いつもの如く、くわえ煙草によれよれのシャツ、そのくせ締めるというよりぶら下げたようなネクタイをしている。およそ用務員という風体ではなかったが、それでも妙に違和感がない。
「そうしてシンジ君と同じ学年になるのも悪くないですね。・・・葛城さんの追及はふりきったんですか?」
「聞かんでくれ、頭が痛い」
 苦笑いする加持。
「・・・・当面はここに拠点を置きます。ここのサーバは回線も太いし」
「セキュリティは甘いし?」
「それもあります。・・・・・・・思わないことでちょっと動きはとりづらいですけど、万が一見つかっても、場所が学校ならすぐには踏み込めないでしょう」
「・・・・・・・・・!」
 加持の面に一瞬だけ緊張が走る。
「無論、まだ居場所をつかまれるようなへまはしていないつもりですけどね」
「・・・・存在を感知されること自体、既に問題だ。・・・もしものときはすぐに連絡しろよ」
 それに続ける言葉を、加持は明らかに一度ひっこめ、言い換えていた。
「・・・それも仕事の内だぞ」
「わかってます」
 そう言って、話は終わったとでもいうように再び手すりに身を預けて空を見る。何か言いかけて、加持は踵を返した。
 加持の足音が消えてもしばらく、カヲルは動かなかった。
 銀の髪をただ微風に預け、はるかな高みへ視線を投げる。

「・・・God’s in his heaven神は天にいまし, All’s right with the worldすべて世はこともなし・・・・か」

 古い詩の一節であるとともに、ネルフの徽章に刻まれた文言でもあった。

 ――――――それは欺瞞だ。

 微かな吐息と共に、カヲルは瞼を閉ざした。

――――――第弐話 了――――――