第四話 Lunatic Fuga


Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「All’s right with the world」

 開けたドアの向こうに、タカミはいなかった。
 ただ、開け放たれた窓でカーテンが清爽な海風に踊るばかり。
 カヲルは無くなっているものを確認した。簡易端末タブレット。・・・とりあえず気がついたのはそれだけだった。
 カヲルは窓辺に寄り、外を見た。既に姿はなく、動くものといえば吹く風にかすかに身を揺らす木々、そして海鳥。
 簡易端末だけで、何をするということもない。・・・・必要としたのは、通信機能か。

「・・・・はぁ?」
【あの坊やたちに迷惑かけたくなけりゃ、お前は一時そこを離れるんだな。一番厄介なのに知れたんだ】
「なんだと!?」
 高階の言葉に、加持の顔から血の気が引く。まさか、もう老人達に!?
 加持の絶句を正しく推測した高階が叱り飛ばす。
【莫迦、そうなら今ごろ俺がのうのうと電話なんかかけていられるか。大体加持、お前が悪い。見られて困るモノがある部屋に、気安く他人を入れるからだ。自業自得ってもんだぞ。処置方法はお前が考えろ】
「だから何なんだ!?」
【・・・・お前が一番頭の上がらない相手だ。尤も彼女、もともと臭いと睨んではいたんだな】
「・・・・・!」
 ようやく、高階の言いたいことを理解する。
【俺はお前さんにつきあって破滅するほど物好きじゃないからな。せいぜい善戦してくれ。じゃぁな】
 無慈悲な音を立てて通話が切れる。
 受話器をおいて、暫く立ち尽くす。
「・・・・とうとう、巻き込んだな」
 呟く声は、苦渋に満ちていた。そのとき、誰かが玄関を出る気配に気づいてリビングを出る。
「・・・・カヲル君?」
 靴を履いていたカヲルが振り向いて、いっそ冷淡とも思える口調で告げた。
「タカミが部屋からいなくなりました。簡易端末タブレットを持って出たようです」
「・・・簡易端末?」
 どうするんだ、そんなもの? そう尋ねようとして、ふと思い至る。
 ―――――――タカミに埋め込まれていたDIS端末。
「捜してきます。後はよろしくお願いします」
 口調も動作も冷静そのもの。しかし加持に止めるだけの暇を与えなかった。
「・・・・・・こんなときに・・・なんてこった」

 アルピーヌ・ルノーがよく整備された林道を駆け抜ける。
 助手席には、シンジの姿があった。
 ハンドルを握るミサトも、もう長いこと押し黙ったまま。しかしそれは気まずさゆえではなく、それぞれが抱え込んだ緊張のためだった。
「・・・・もう一度尋いておくわ、シンジ君」
 シンジの肩がびくりと震え、膝の上の拳が握りしめられる。
「とてもつらいものを見ることになるかもしれないわ。それでもいいのね?」
「・・・・はい」
「・・・あるいは、信じたもの全てがダメになる程の事かもしれない。それでも、後悔しないわね!?」
 シンジが呼吸を詰める。
 レイとカヲルの行方についてミサトに相談しに行った時、ミサトは丁度、帰りに加持のアパートを訪ねるところだった。絶対に加持が一枚噛んでいると踏んだミサトは、留守と分かっている加持のアパートへのりこむ気でいたのだ。
 入り込むこと自体は然程困難ではなかった。なにせ、勝手が知れている。
 入った中でミサトが始めた事に、シンジは暫し絶句した。やおらコンピュータを起動したかと思うと、あらゆるセキュリティを解除していくつかの情報を引き出してしまったのである。いくら知った仲でも、これは犯罪だ。
 行くわよ、と言い放つミサトにシンジは、はいとしか言えなかった。
 次に行ったところは、個人病院だった。そこでミサトはシンジを車に待たせ、一人が院内へ入って行った。
 院内で何があったのかは分からない。ともかくも、ミサトは30分ほどで戻ってきた。そうして進路を取った先が、この林道というわけである。
「・・・僕はもう、逃げたくないんです」
「・・・・わかったわ」
 ミサトはハンドルを握ったまま少し呼吸を整えた。
「・・・よく聞いて。といっても、まだ肝心な所は何も分かってはいないんだけど・・・ともかく、この先にある別荘に行ってみれば、加持から話が聞けるはずよ。多分渚君達もいるでしょう」
 その時、林を抜けた。開けた窓から潮の香りを含んだ風が吹き込む。開けた視界の半ばは青い海。
 一方が岩棚、一方が海に至る急斜面。その狭い道の向こう、海に張り出すように小さな箱のようなものがぽつんと建っている。電話ボックスだ。昔はどこにでもあったというが、今やもの珍しい景色になってしまった。なんとなく注視していて、シンジは思わず声を上げた。
「ミサトさん、あそこ・・・!」

 電話ボックスの壁に背をもたせかけ、片手で簡易端末を抱えたタカミは、片手とは思えないタイピングでキーを叩いていた。
 端末から2種類のケーブルが伸びている。よくあるタイプのケーブルは電話のジャックに、もう一つの特殊な方のケーブルは、タカミの首筋に露出しているDIS端末のジャックに繋がれていた。
「・・・・送信は不可だけど受信は可・・・か。上手い具合に壊れてくれたよ」
 なおも暫くキーを叩き続けていたが、ようやく一段落ついたらしく手を止めた。それと同時にぐたりとなってその場に座り込む。
 ・・・・否、意識を失ったのだ。
 ややあって銀色の髪が揺らめき、身じろぎする。さながら、マリオネットの糸を戯れに引っかけてみたかのような、不自然な動きであった。それが幾度か続いた後、タカミの口から深い吐息が漏れる。
 軽く頭を振って、立ち上がる。先刻の姿勢に戻って、また凄じいスピードでキイを叩き始めた。
「・・・・あと、少しか」
 抑揚のない声は、冷静なノックに中断させられた。
「・・・何が、『あと少し』なのか・・・そろそろ答えて貰ってもいい筈だな?」
 手入れの悪いボックスのガラス越しに、自身と同じ顔。
「・・・見つかっちゃいましたねぇ・・・・・もとより、逃げ延びようなんて思ってた訳じゃありませんけど・・・・」
 手が素早く動き、回線が切れる。
「・・・・『本体』に接触を試みたわけか。何を・・・考えてる?」
「それはね・・・・・」
 タカミは額に冷汗を浮かべていたが、それでも悪戯っぽく笑んだ。
 ・・・・愉しくてたまらない、というように。
「・・・まだ、秘密です」
 DIS端末のジャックからケーブルを引き抜き、端末をたたむ。
「ものはついでですから、最後まで付き合ってください・・・そうしたら、僕が何を考えてたか理解ってもらえると思うから・・・・」
 そこまで言ってしまうと、もう一度吐息して、その場にずるずると座り込む。
 時を移さずして沈黙を切り裂いた場違いな車の排気音に、二人とも身を硬くする。ブレーキ音、そして・・・・
「カヲル君!?」
 車から出てきた人物に、カヲルが顔をこわばらせた。タカミはそれを横目で見て、少し意地の悪い笑みをすると、静かに目を閉じた。

「・・・原因は?」
「不明だ」
 意識を失ったタカミは結局ミサトの車で別荘まで運ばれた。
 夕刻になってこちらから電話もしないのに高階が駆けつけたのは、場所をバラしたフォローのためだったのかも知れないが、さっそく医者としての仕事が回ってきた。
「例の麻酔弾の影響はもう消えているはずだ。データは正常・・・これで意識がないといったら、眠ってるか、さもなければ・・・」
「件の、DIS端末の干渉」
 冷然とカヲルが言い放つ。
「・・・・そうだな」
 高階が渋々、といったていで肯定した。
 タカミはまた仰々しいモニターに繋がれている。あれからまだ一度も意識を回復していない。
「・・・・納得の行く説明は貰えるわよね」
 ミサトが加持を睨んで言った。
「君を巻き込みたくはなかったんだがなぁ・・・・・」
「今更遅いわ」
「さて、何処から話したら納得してくれるのかな」
「・・・・・言いにくければ言ってあげるわ。・・・・あなた、今回あの人工進化研究所を向こうに回してるんでしょう」
 高階でさえ、辿り着きながら口にしなかった答えをミサトはずばり言ってのけた。
 黙って聞いていたシンジがびくりとする。
「葛城・・・・」
「あの施設がどんなものか、私よりは詳しいはずよね。いったいなんてモノに手を出したのよ。下手すりゃ命がないわよ!?」
 加持は天を仰いだ。
「・・・・とりあえず、場所を変えよう。高階、お前も来てくれ。おおかた、MODISのことで何かわかったんだろう」
 後に残されたのは、カヲルとシンジ、そしてタカミ。
 沈黙が、長くその場を支配した。
 シンジは必死に言葉を捜していたが、何から切り出してよいものか分からず、項垂れていた。
 カヲルが窓を開き、夕刻の風を呼び込んで呟くように言った。
「レイに・・・言ったんだって?僕たちが、君のお母さんを知っているって」
 カヲルの静かな言葉に、肚を括っていたつもりなのに今更動揺してしまう。
「・・・・・僕、憶えてたんだよ。母さんが、綾波をつれてどこかへ行ってしまうところ・・・夢の中みたいに、前後はどんな事があったのか・・・ほとんど憶えてないけど」
「・・・・」
 窓外の景色を漫然と紅瞳に映し、カヲルは言葉を選んでいるようだった。
「僕は、母さんに捨てられたと思いこんだんだ。物凄くショックで・・・・随分父さんの手を焼かせたらしいんだ。一時期、施設にも預けられてた。暫くして母さんが戻ってきて、すべては元に戻ったけど・・・・結局、心のどこかにそんな不安が残ってたんだね。
 だからまた母さんがいなくなったときも、きっと・・ああ、またか・・・って、そんな気でいたんだ。・・・それでも、父さんの言った「入院」って言葉を、一生懸命信じてた・・・いや、信じたかったんだ。
 母さんに捨てられたって、思いたくなかったんだ」
「・・・・君は幸せだよ、シンジ君」
 そのときカヲルが口にした、ひどく冷たい調子の言葉を、シンジは聞き取り損ねた。・・・・あまりにも、思いがけなくて。
 だが、振り返りながらゆっくりと続けられた言葉に棘はなく、むしろ憐れみさえ含んでいた。
「・・・・でもそれはきっとあたりまえのことなんだね。・・・・そうやって、人は生きていくんだものね。気にかけて貰えるということ・・・ここにいてもよいと受け入れられること・・・・それを必要とするのは、人間として育つには当たり前のことなんだね・・・・」
「カヲル君・・・・」
「――――――僕もレイも、そんなものは与えられなかったよ」

「『セカンドインパクト』って言葉・・・葛城は知ってるよな」
 加持の言葉に、ミサトはやや表情を硬くして頷いた。
「・・・南極で未知の物体が見つかって、それが膨大なエネルギーを蓄積していると分かったもんだから、その処置を巡って大騒ぎになった事件でしょ。地球外からの飛来物だとか、下手をすれば過去、月ができあがった大隕石の衝突・・・『ジャイアントインパクト』に相当する、『セカンドインパクト』が引き起こされるとか何とかで、随分騒いでたわよね。実際、爆発事故なんかもあって死者も出てる。でも、何故かうやむやになった。結局、ただの隕石だったとかで・・・爆発事故は発掘のための重機の操作ミスって」
「・・・大量の死傷者が出たってのに調査はひどくおざなりで、あまりにも『揉み消し』臭かったけどな。一時期騒がれた割には報道もあっという間にされなくなった」
 これは高階である。
「――――――南極で見つかったのは、材質不明の紅い球体・・・・細かい経緯は俺も知らないが、『それ』は、ヒトのDNAにきわめて近いデータを持っていたんだそうだ。・・・そう、それこそ、生命の設計図だけが保存されていたみたいにな。『使徒の卵Angel’s Egg』と呼ばれていたそうだ」
 ミサトの顔が更に強張った。
「人工進化研究所は、そのデータの解析のために作られた施設。解析し、それを何に援用しようとしているのかは、俺も知らん。だが、そこへは国家予算が注ぎ込まれているというのは確かだ」
「国家予算ですって!?」
「そこらへんはカラクリがあるらしいがね。・・・俺はそのカラクリの調査をしていて、研究所のバックに目をつけられたんだ。・・・『ゼーレ』の名で呼ばれる爺さんがたさ」
「政界・経済界を裏から動かしてる・・・とかいう組織?都市伝説っぽすぎて誰も本気にしてないと思っていたけど」
「老人達がどこまで政治に首を突っ込んでいるのかはしらんよ。だが、国家予算を怪しげな研究所に注ぎ込ませる力があるのは確かだ。そもそも『使徒の卵』を最初に見つけたのはゼーレで、爺さん方は戦時下のヨーロッパで既に研究を開始してたらしい。それが終戦のごたごたでたまたま散逸していたのを回収しただけなんだと」
 ミサトも人工進化研究所がマトモな研究施設であるとは思っていなかったが、まさか。話が大きすぎる。
「・・・・軍が絡んでるかも、くらいのことは考えてたけど・・・」
「軍隊よりも遥かにタチが悪いよ、あの老人がたはね」
 高階がぼやく。
「・・・・知ってるの?」
「・・・どっかの莫迦がうちの連絡先なんかファイルにいれてなければ、シラをきり通したいところだが・・・その筋だと、知らない者はないね。
 まあアレだな、ちょっかい出して帰ってきた者はいないってヤツ」
 しれっとしてそう言い放つ。ミサトはまじまじと加持を見た。
「・・・よく生きてるわね、加持」
「これからどうなるかわからんさ。カラクリの調査も諦めて、言うことを聞いている間はよかったが・・・なにせ、まともに逆らっちまったからなぁ」
 加持は苦笑して、おさまりの悪い頭髪をかき回した。だが、次の問いにその笑いが消える。
「・・・・で。その老人がたゼーレとやらの言うことをきいて、なにをやってたの」
 加持は暫時沈黙し、重たげに口を開いた。
「・・・俺がゼーレから受けた依頼は、人工進化研究所の碇ユイ博士と博士がつれて逃げた二人の子供を捜し出すことだった」
「二人の・・・子供・・・ってまさか!」
「・・・・・・綾波レイ、そして渚カヲル。二人はそれぞれ『使徒の卵』から生成させた2nd-cell、17th-cellから採取されたデータを元に組み上げられた、仕組まれた子供。たった二件の成功例さ。碇ユイ博士は、二人を連れて研究所から離反したんだ」