第四話 Lunatic Fuga


Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「All’s right with the world」

いつも、忙しそうだね?

    僕に、何かできる?

        僕に、何かできることがある?

          たとえ、あなたの僕に対する感情が

     造ったモノに対する執着以上の何かではなかったとしても

 ・・・そうすれば、あなたは僕を見てくれますか?

「『タカミ』はMAGIの子供ですよ。スーパーコンピュータ・MAGIのエージェントAIとして、MAGIの開発とほぼ同時進行で実験的に組まれていたプログラム・・・それが、本来の『タカミ』です。
 そして、MODISによってこの身体を得たことで、誰も予想していなかった爆発的な自己増殖を始めた自律型AI。・・・それが『僕』」
「自律型AI・・・・そんなものが・・・」
「・・・『そんなものが、存在を許されるわけがない』」
 タカミの科白は、カヲルの言葉を正確に先取りしていた。
「でも、あの男なら・・・所長の碇ゲンドウなら、ある目的のためならその存在を許容する。『タブリス』よりもはるかに御しやすいから」
 シンジがカヲルを見る。
「・・・しかし、おまえはその意図を覆し、反抗を企てている」
「あたり」
 タカミは嬉しそうにそう答えた。
「だから、僕には『槍』が差し向けられた。僕の基本プログラムを探し出し、破壊するウイルス・・・それが今、僕を捕らえ、蝕みつつある」
「DIS端末の基本プログラム・・・・」
「そう。僕の固有番号シリアルナンバーを含むプログラムだけを選択的に破壊する。結果コードはもうおそらくMAGI本体に着信した頃だね。
 多分、もうひとりの僕が稼働状態に入るまで後いくらもない・・・そのための、当然の処置だ」
 タカミの口調は平然としていた。
「MAGIは、現行のシステムではまだ同時に複数の個体を維持できないからね」
「父さんの・・・父さんの目的って、一体何なんだ!?」
 シンジがたまりかねたように声を高くする。
「『人類補完計画』。それも、ゼーレの老人方が考えているものとは大きく異なっている」
 莞爾として、タカミ。
「僕はその『計画』が気にくわない。ありていに言えば、あのおじさんが大っ嫌いなんだ。だから邪魔する。とても明瞭な動機でしょ?」
「だがもうじき死ぬ」
 カヲルが凍りついた表情のまま、抑揚の乏しい声で放った言葉に、シンジが呼吸を停める。
「死ぬ?・・・僕が?」
 意外な言葉を聞いたように、タカミが目を見張った。だが、それすらも一笑に付すかのような調子で言葉を継ぐ。
「・・・そう、そうとも言うね。あと数時間経たずに、僕の中の情報素子は完全に初期化されてしまうだろう。ソフトウェアの完全消去デリート・・・それって多分、死ぬって事だよね。
 ・・・でも、あのおじさんの思惑に沿う結果にはならないよ」
「そのために、自分の存在をゼーレへ知らせたのか」
「あ、ばれてた?」
 まるで悪戯を見つけられた子供。しかし微塵も悪びれるふうはなかった。
「僕が何者か、あのお爺さんがたのほうがよく理解してたみたいでね。・・・尤も、理解しやすいように話をしたのは僕だけれど? ・・・・あの人はともかく、研究所のスタッフのほとんどはまだ気づいてない。僕が、もうただのインターフェイスじゃないってことに」
 ふっと、タカミの両眼が焦点を失う。だがそれも一瞬。
「僕を手に入れるということは、MAGIそのものの占拠と同義。僕がMAGIの一部なんじゃない、MAGIが僕の一部になりつつあるんだ。お爺さんがたにしてみれば、こんなお買い得滅多にないよね?」
 低い笑いは、ひどく辛辣だった。
「・・・でも、だからってあんなにあっさり接触させてくれるとはね。おかげで思ったよりも早く作業は終わったよ。爺さんがたの手も早かったけどね。
 ・・・迷惑かけちゃって、本当に申し訳ないと思って・・・・る」
 びくり、と背を震わせる。何かに耐えるように、僅かに眉を寄せた。
 ややあって、小さく吐息すると、呟く。
「・・・・酷いや・・・こんな・・・記憶メモリの消去が痛みに変換されるなんて・・・いや、違う・・・痛みを感じているのは僕か・・・忘れてしまうことが痛い・・・・消えてしまうことが怖いのか・・・!」
 ベッドから立ち上がり損ねて、タカミはその場に膝をついた。踊った指先がテーブルクロスをひっかけて、床頭台の上のデカンタとコップが宙を舞う。
 一瞬の空白。
 寄木の床にぶつかり、硝子が音を立てて砕けた。水と破片が、最後の残照をうけて飛散する。
 鋭利な破片の上に倒れかけたタカミの身体は、同じ白い腕に支えられた。
「・・・・・!」
 だが、腕を差しのべた本人は、自分がそうしたことが信じられないかのように、目を見開いていた。
「カヲル君・・・・・」
 シンジの声には、どこかほっとしたような響きがあった。カヲルが彼に対してあまりにも冷酷なように見えていたからだ。
 カヲルの足下で、破片が鋭利な音を立てる。
「・・・・・人格はその成立に記憶が大きく関与する。・・・ヒトは記憶によって生きる。しかし、ヒトと記憶はイコールじゃない。・・・バックアップがあるとかないとか・・・そういうことじゃないんだね・・・」
 カヲルに支えられ、カヲルの肩に頭を預けて、得心したような・・・なぜか穏やかな表情でタカミが呟いた。
「・・・・・消えてしまうことが怖い・・・そうか、こういうことなんだ・・・」

「あいつはね、自分に家族が居るってことを、心から喜んでた」
 氷だけになったアイスティのグラスを揺らしながら、青葉は言った。
「だのに・・・戸籍上とはいえ姉がいたことすら、知らされてはいなかったんだ・・・・・」
 レイは、黙って聞いていた。
「きっと、とても辛い生き方をしてきたんだと思ったんだ・・・・だから、冬月教授があいつを引き取ったのも、きっと何か訳のあることだと・・・・でもきっと、それは俺の勝手な思い込みなんだな」
「先生、それ違うと思う・・・」
「違わないよ。結局、俺はあいつのことを何ひとつわかっちゃいなかったんだ」
「先生は悪くないよ。きっと、先生のこと、家族みたいに大事だと思ったから・・・話したくなかったんだと思う。・・・そういうの、最近・・・ちょっとだけ分かるようになったから」
 レイが俯く。シンジはここを捜し当ててしまった。あれからほとんどまともに話をしていないが、多分、タカミの件が落ち着いたらカヲルもすべてを話すつもりでいるだろう。
 ・・・・・すべてを話したら、シンジはどんな反応を示すだろうか?
「彼は、多分…私が知ってる地上の誰よりも私達にちかい・・・だから、私わかるの。・・・・大事だからこそ、知られたくないの。嫌われたくないから・・・・」
 ・・・・・すべてを話しても、今までと同じような、クラスメイトとして接してくれるだろうか? それを思うと、言い知れない恐怖にかられる。
『もうここに居たくない・・・・どこか遠くに行こうよ。誰も知らないところ・・・・』
 タカミが撃たれた夜、カヲルを戸惑わせたであろう言葉。
 彼タカミは、カヲルやレイと同じ痛みを知っている。理由も理屈もない、それは直感だった。

  ワタシノ イテ イイ バショハ ドコ?

 そうだ、逃げ出してしまいたかった。あの街から。いつか自分を傷つけるかもしれない暖かさから。なによりも、偽りの平穏から。
 彼もまたそうだと思うのは・・・それこそレイの勝手な思い込みだったのかも知れない。ただ彼が何者であるにせよ、レイは彼の存在がカヲルに一つの答え・・・あるいはアンチテーゼを与えるのではないかという希望を感じていた。
 しかし彼の、本当の望みは―――――――
 何か言いたげに青葉が口を開きかけたとき、硝子が割れる音に二人は立ち上がった。

 あわただしい足音とともに、加持達が戻ってきた。デカンタの割れた音が聞こえたのだろう。
「一体・・・・!?」
 説明しようにも、シンジは状況を掴み損ねていた。カヲルに支えられたまま、タカミが緩慢に頭をあげる。
「さっきの簡易端末と・・・・僕のパーカーの右ポケットに入ってるケーブルを取ってもらえるかな。多分、これが最後のバックアップになる」
「どういう事!?」
 ミサトが声を高くする。
「言う通りにしてやってくれないか」
 やはり部屋に駆けつけたレイが、言葉を先取りされて息を呑み込む。なぜならそれは、一番意外な人物の口から発せられたからだ。
 レイも驚いていたが、当人は多分に意識的に、表情を隠していた。
「カヲル・・・・・」
「ありがとう」
 タカミはカヲルの助けを借りてまたベッドの端にかけ、硬直しているシンジの代わりに動いた加持から簡易端末を受け取った。
 そして首筋のジャックと端末をケーブルで繋ぐ。
「数時間以内にSerial-03が起動する。きっとあなたがたに逢いに来ると思うよ。・・・あるいは、いよいよ鉄砲玉代わりに使われる、という可能性もあるしね」
 そこでいったん言葉を切り、伏せた目をあげて、青葉を見た。
「・・・・青葉さん、短い間だったけど、ありがとう。本当に、嬉しかったんだ。『家族』って感じで。・・・だから、巻き込みたくなんかなかったんだけど・・・本当にごめんなさい」
 突然話を振られた事にも狼狽したが、言い忘れたことすべてをいまここで話してしまおうとするかのような口調に、不吉なものを感じて青葉の声が上擦る。
「・・・・何だよ・・・何、いきなり遺言みたいなこと・・・・!」
 タカミはそれに対して悲しそうに微笑い…だが何も反応を返すことなく、今度はシンジを見た。
「・・・・・研究所を飛び出した最初の僕・・・・は、あなたを憶えていたよ。ぼろぼろの記憶素子のなかに残っていたのは、あのひとを別にすればあなただけだった。・・・優しくしてくれたのは、人として扱ってくれたのは、あなただけだったから・・・」
 その言葉に、シンジはもう一度呼吸を停めた。
 いつかの、夢とまがうような情景。月夜のベランダに舞い降りた天使。
「だから、あなたにも会えたら良いなって思ってた・・・」
 そこまで言って、タカミは緩慢にケーブルを引き抜いた。
「あのおじさんに一つだけ感謝するなら、僕を学校へ送り込んでくれたことさ。おかげで、あなたたちに会えた。最初の僕が水槽の中で見てた夢を、たくさん叶えてくれた、あなたたちに・・・・
 ―――――――本当に、ありがとう・・・」
 最後に側に立つカヲルを見、にっこりと笑う。だがその笑みが、陽が翳るように消えた。
「・・・・こんなに・・・・なにもかもが・・・鮮明に見えるのに・・・聞こえるのに・・・すべてが・・・白く・・・意味を失っていく・・・」
 その声に、すでに抑揚が乏しい。表情をなくしたまま、何かを求めるように伸べられた手は、カヲルのシャツに触れた。
「まだ・・・とても大事なこと・・・あのひと・・・に・・・」
 指先がシャツを握りしめる。カヲルはもう、それを振り払ったりはしなかった。ただ、少し傾いだ肩を支えていた。それでも、タカミは少しずつ俯いてゆく。

「・・・僕を閉じ込めないで。
   僕を呑み込まないで。
   僕を消さないで。
   僕を殺さないで。
   僕を・・・・・・・・・」 

 呟くような声が、曲半ばでネジのきれたオルゴールのように途絶えた。

「・・・・ねえ・・・・どうなっちゃったの・・・・!?」
 たまりかねたような、レイの声が揺れる。
「ねえ、何とか言ってよ!?」
 俯き加減にベッドの端にかけている彼の前に膝をつき、その肩を揺さぶる。
 だが、紅瞳は誰をとらえることもなく、答えが返ることもなかった。

――――――第四話 了――――――