第四話 Lunatic Fuga


Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「All’s right with the world」

「最終シーケンスに入ります。現在、予定時間からの遅れが約10%・・・」
「・・・serial-02がここにない以上、遅れは仕方ないわ。serial-02が消滅したものとして、タイムテーブルを組み直して。それと・・・・」
 次の言葉までに、一瞬の間があった。
「・・・・『槍』を準備して。ターゲットはserial-02に」
 はっとしたように、マヤがリツコを振り返る。
「・・・・先輩!」
 だがリツコはいつもと変わらない表情で、淡々と告げるだけ。
「位置確認のシステム誤動は、もはや仕組まれたものとしか考えられないわ。・・・そんなことが出来るのは誰?・・・私達でなければ、彼自身しかいないわ」
「でも、そんな・・・何のために・・・・」
「・・・・問題なのは、何のためかより・・・どうして彼にそんなことが出来たか、よ。・・・・・私の失敗ね。
 勿論、捜索は続けさせるわ。いずれ放置するわけにはいかないし、serial-02がいまだ活動状態にある可能性高い以上、のんびり本体を捜していたんじゃ埒があかない。・・・・あれを使うしかないのよ」
「・・・・『バグは消去しなければならない』ですか・・・」
「理解っているなら準備にかかって」
「は、はい・・・」
 取りつくしまもない返答に、マヤは操作卓へ向き直った。そして、気がつかなかった。リツコが水槽の中へ視線を落とし、かすかに呟いたのを。

 ――――――こんなことに・・・なるなんて・・・・・

「碇ユイ博士が離反?」
「理由は知らん。ただ、二人を連れて逃亡したんだ。・・・ゼーレの老人たちは、俺にそれを捜させた。研究所に連れ戻すためではなく、自らの陣営に引き入れるために」
「・・・・ちょっと、話が混乱してない?」
「混乱してるよ。つまり、研究所そのものがすでにゼーレからすれば離反者らしいんだ。厳密に言えば、所長の碇ゲンドウ氏だな。表向きはまだゼーレの出先を装ってるが、裏ではゼーレの予定にない計画を進行させている。それをゼーレは随分前から察知して、警戒してたんだ」
「それでも処断されなかったのは、碇ゲンドウ氏がゼーレの中でも高位・・・あるいは力のあるメンバーだったから?」
 静かに、高階が指摘した。ミサトが息を呑む。
「老人達はそこまで喋っちゃくれないがね。・・・俺も、そう考えてる」
「碇夫人は碇ゲンドウに対抗しうるブレーン、あるいは人質か・・・・」
「結果から言うと、碇夫人と二人の子供を見つけたとき・・・碇夫人は動ける状態になかった。だから、渚カヲル・・・17th-cellから生まれた方の少年は、碇夫人と自分たちの安全を確保するために、人工進化研究所の内偵を買って出たんだ」
「ゼーレはそれを受け入れたのね。・・・何故?自分達にだって手足は腐るほどいるでしょうに。逃げられるリスクを残しながら学校に通わせたり・・・あ!」
「・・・そうさ。俺はそのリスクに対する保険をやっていたんだ。碇夫人を病院に預けて、あの二人の住居を用意し、ゼーレとの監視兼連絡役をしてた。大したものだよ彼は。ゼーレを向こうに回して取引を成立させちまうんだ」
「・・・碇夫人に治療を受けさせるために? ・・・酷い・・・」
 怒りに青ざめるミサトを見て、加持は微かに口許をゆがめた。
「そうだな、最低なのは俺だよ。・・・命惜しさにそんな取引の仲介をしてたんだから。
 爺さん方がその提案を受け入れた理由は、はっきりとは分からん。彼が、爺さん方を威嚇する材料になる何か・・を持ってるのは確からしいがな」
「・・・たとえば、第3新東京市そのものを吹っ飛ばすほどの何か・・・・・か?2000年の南極のように」
 高階の静かな指摘に、ミサトだけでなく加持もはっとしたように発言者を見た。だが、高階はその発言を悔やむかのように僅かに顔を窓の方へ向けた。
 ミサトが眉を曇らせ、腕を組んだ。
 高階も暫く沈黙していたが、一枚のメモリカードをテーブルに投げ出して言った。
「・・・・・MODISに関して、俺が調べることのできた全てだ。お前のアドレス宛にも送りつけてはおいた。
 化石になりかかったようなじいさんがたが、何を考えてたのかなんて俺の知ったことじゃない。・・・・だが、あの坊やに関する限りは、これだけの資料から大体推測できる。
 MODISを維持できる程のハードウェアは、この日本にだってそうはない。おまけに秘密裡に試験官ベビーを育て上げられる環境つきとなるとね。
 ・・・・あの坊やに埋め込まれたMODIS端末は、十中八九『MAGI』にリンクしている。つまり、おそらくはあの坊や自身が、MAGIの生きたインターフェイスシステムなのさ」
「生きたインターフェイス!?」
「MODISそのものが、本来機械と人間Machine-Organizmのスムーズな情報連携を目的としていた。その一番極端な形と考えていいだろう。
 そのアンチテーゼとして存在したのが、エージェントAIによるインターフェイス・・・つまり、独立した一人格に近い反応のできるAIを間に挟むことによって、能率的な情報処理を行うという考え方だった。
 ・・・・解せないのは、そのMODISのアンチテーゼであったはずのAI開発の第一人者と言われてたのが、他ならぬかの人格移植OSの権威・赤木ナオコ博士だってことだな」
「リツコの、お母さん・・・・」
「赤木博士が実験的に組んでたエージェントAIの行方が、一時そのスジの人間の間で話題になったとかならないとか・・・・。赤城リツコ博士に継承されていたと仮定すれば、どうやら糸が繋がりそうだな」

「・・・どうぞ」
 不意に目の前に差し出されたアイスティに、青葉はちょっとびっくりして、それを差し出した白い腕の主を見た。青銀の髪が、夕刻の陽光をはねる。
「あ、ありがとう」
「ここ、いいですか?」
 青葉が腰かけているのはテラスデッキの端であり、座るのにいちいち許可を求めるような場所でもない。しかし、今にも泣きそうな癖に無理をして笑っているような表情に、つい杓子定規な返答をしてしまう。
「どうぞ」
 レイはありがとうといって腰かけ、自分のアイスティを傾けた。
 見れば、背後には氷の融けかかった数人分のアイスティがワゴンの上に並んでいた。レイが客人のために用意したものであろうが、どれ一つとして、飲まれた様子がない。
「・・・ごめんなさいね、まきこんじゃって」
「いいや、もう他人事じゃないからね。・・・それより君は、行かなくていいのかい、その・・・・」
 口ごもる。レイは自分と違って、秘密を知っている立場だという思いから思わずそう言いかけたものの、レイの泣きそうな顔に思わず言葉をさがしあぐねたのだ。
「・・・・あは・・・みんな、難しそうな話してて、入れなくって・・・・」
 無理に笑ってみせようとして、失敗する。それでも、まだ泣かない。
「・・・カヲル・・・ね、タカミ君の一件からこっち、すごくピリピリしてて・・・それはそれで仕方ないことなんだけど・・・青葉先生には迷惑かけちゃって、本当にごめんなさい」
「別に縄つけて引っ張ってこられたわけじゃないし、自分の意志でここに来たんだから・・・君がそんなに気にしなくていいよ」
 これは半分嘘だ。あの場面で、カヲルの剣幕に敗けたというのが正しいところだが、実際タカミが連れ去られるのを看過出来なかったのもまた確かだ。
「タカミは弟みたいなもんだからね。放ってなんかおけないよ」
「・・・弟・・・?」
 意外な言葉を聞いたように、レイは青葉を見た。
「ウチで生活してたんだ。冬月教授に頼まれてね。教授には昔、とても世話になって・・・」
 そこまで言って、青葉はふと、ミズカのことを正直に口にすべきだったろうかと思った。
「知ってる・・・ミズカさんのことでしょ。・・・ごめんなさい、タカミ君のこと、カヲルが調べてて・・・その時に。・・・・でも、そう思って貰えるって、いいことだね」
「え?」
「・・・『弟みたいなもの』だって」
 青葉の狼狽した表情がよほど可笑しかったのか、先刻の無理矢理な笑みとは一線を画した、無邪気な笑みをする。・・・が、それは不意に翳った。
「そんなふうに思って貰えるって、とっても羨ましいな」
「・・・・・」
 目を伏せたレイに、青葉は再び言葉を探しあぐねることになった。なにも知らされないことへの苛立ちと、今目の前で背負うものの重さに懸命に耐えている少女の姿に、感情の行先が見つからないのだ。
『・・・あなたをなるべく係わらせまいとする彼の気持ちを、汲んでやってください』
 カヲルの言葉が刺さる。
『警察なんて知らせるだけ無駄です。相手にされないか、最悪、彼ひとり拘束されることだってありうる』
 それは、師が犯罪にかかわっていたということか。あの、冬月教授が?
 信じたもの総てがひっくり返されるような気がして、知ることが怖い。

 ・・・・だが、もう・・・後戻りもできない。

「2000年に南極で見つかった通称17th-cellは、現生人類に酷似した形質を発現させる遺伝子を持っていて…しかし現生人類ではなかった。そこから生まれたのが、僕さ」
 カヲルの言葉は淡々としていた。
「…言うのは簡単だけど、わずかな組織片から元通りのヒトの身体を再生させるなんてことがどれだけの無茶か、判るだろう?…でも、彼等は成功させた。剰え、スペアとして量産する下準備までしていた。実際にいくつか作られたようだけど、その大半はヒトの形をしているだけのものに過ぎなかった。ヒトが作り出したヒトに魂が宿ることはなかったんだ。
 ・・・・・・・僕は、その唯一の成功例なのさ」
 夕刻の潮風に銀色の髪を遊ばせるに任せて、カヲルはゆっくりと視線を上げてシンジを見た。呼吸を詰め、目を見開いたまま立ち尽くしているシンジを。
「・・・・僕が、怖い?」
 その問いは、優しかった。
 だがシンジは両眼に涙を溜めて、青ざめた唇を震わせるだけ。何一つ言葉にすることが出来ずにいた。
「僕はたくさんいたけど、僕は一人なのさ。魂はひとつしかないから。・・・だから、彼の・・・冬月タカミの存在が理解らなかった」
 シンジの混乱を斟酌しているのかどうか。カヲルは話し続けた。
「彼は僕じゃない。それは彼も認めているけど、彼は僕と同じ身体で出来ている。・・・・17th-cellから作られた者であることは間違いない。
 しかし、魂のない者ならば重力下でその存在を維持できない。ある一定の環境を整えてやらなければならない。・・・・そうだね、丁度この熱帯魚みたいだね」
 カヲルは部屋の一隅に置かれた小さなアクアリウムに歩み寄り、エアレーションに繋がる電源コードに触れた。
「タカミがその存在を維持している以上、彼の裡にも何かがいる筈なんだ。・・・・僕の裡に、17th-cellに宿っていたと思われる魂、『タブリス』の名で呼ばれる存在がいるようにね」
 コードを握りつぶすかのような力がこもるのが、シンジの目にも分かった。
「・・・『タブリス』・・・それが本当の、君の名前なの・・・?」
 青ざめたまま、シンジがようやくそれだけ言った。だが、カヲルはそれへ寂しげな笑みを返す。
「僕はカヲル・・・『渚カヲル』。少なくとも僕は、そう信じてきたよ・・・・」
 見るものの胸を痛くするような、切ない笑みであった。
「僕が本当は何者か・・・なんて、本当は然程大したことじゃないんだけどね・・・そもそも『タブリス』なる者は・・・」
 そこまで言って、カヲルは不意に表情を厳しくして口を噤んだ。
 ――――――身を横たえたままのタカミが、その両眼を開けていた。
「・・・・・・羨ましいですね」
 天井を見つめたままそう言い、ゆっくりと身を起こす。
「僕は、自分自身が何者なのか・・・そこから始めなくちゃならなかった。おまけに、あなたのように明確な答えが用意されてはいない」
「・・・何を、企んでる?」
 起き上がるということがあたかも重労働であったかのように、ベッドの端に腰掛けて大きく息をつく。カヲルの厳しい視線から逃げるふうでなし、ごく自然にタカミはいつもの柔らかな笑みをシンジに向けた。
「・・・あなたがここに来たってことは、それなりの覚悟をきめての事・・・と考えていいんですね?」
「・・・えっ・・・僕・・・・僕は・・・・・」
 しかしタカミはシンジにそれ以上の答えを求めようとはせず、カヲルに向き直った。
「あなたも薄々気づいているんでしょう?・・・僕がなぜ、あなたの前に現れたか・・・」
 カヲルは表情を動かさなかった。
「・・・・・僕はあなたを牽制する目的であの学校に送り込まれたんですよ。どっちかっていうと挑発かな?無論、僕があなたを物理的にどうこうする力がないことも、承知の上でね。ただの時間稼ぎ。捨て駒。あるいは捨て石・・・言い方はなんとでも」
 気楽に、屈辱的であるはずの言葉を数え上げるタカミ。
「僕が死んじゃっても、かわりはいますからね」
 あまりにも奇怪な科白を、にっこり笑って口にする。
「・・・あなたの言う通りですよ。魂のない者はLCLの海から上がることはできない。でも、僕にはあなたがたの言うような『魂』はないんです。・・・・だから、あなたと同じ身体を持ちながら、僕にATフィールドは使えない。つまり・・・」
 何かを言いかけて、不意にがくりと頽れそうになり、かろうじて腕を突っ張ることで堪えた。駆け寄ろうとするシンジを遮ったのは、カヲルだった。
「・・・カヲル君・・・」
 シンジがカヲルを見る目には、僅かだが理不尽を責めるような色が含まれていた。だが、やはりカヲルは顔色を変える事もなく、厳しいまなざしでタカミを射る。
「・・・・・」
 ややあって冷汗の下でタカミが浮かべた笑みは、韜晦でなく、確かに何かを得た笑みだった。
「・・・『タカミ』が何者か教えてあげましょうか」
 ゆっくりと、顔を上げる。
「『タカミ』はMAGIの子供ですよ。スーパーコンピュータ・MAGIのエージェントAIとして、MAGIの開発とほぼ同時進行で実験的に組まれていたプログラム・・・それが、本来の『タカミ』です。
 そして、MODISによってこの身体を得たことで、誰も予想していなかった爆発的な自己増殖を始めた自律型AI。・・・それが『僕』」