第六話 暫し空に祈りて


Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「All’s right with the world」

 病院の裏手、近代的な町並みの中で、緑に囲まれた洋館はひときわ異彩を放つ。苔生こけむした煉瓦塀は蔦が縦横に這いまわり、街路と敷地を隔てる青銅の柵扉もまた、びっしりと緑で覆われている。
 昔、誰の屋敷であったのか、近隣の住人は誰も知らない。ただ、空家であったところに、最近―といってもいつからなのか誰も正確なところは覚えていない―賑やかな一家が引っ越してきたのだ。
 一家というのも違うのかもしれない。玄関プレートには「高階」という名前が刻まれていて、それは反対側の区画にある小さな病院の医師の名前であったが、医師の年齢からしてどうにも続柄の見当が付かない年代の子供達がいたのである。
 病院の職員の何人かも同居しているようであった。
 家族というより生活共同体の雰囲気があったが、住人は総じて人当たりがよく、周囲とも溶け込んでいた。・・・・ただひとつ妙なことといえば、学齢期と思しき子供たちは、どうやら学校に行っていないらしいことぐらいか。
 それが今朝のことである。ふと見れば高校と中学の制服姿が門を出ようとしている。それを見た向かいの老婦人が、
「おや、今日から学校なの?」
 と訊ねると、ミズスと呼ばれている少女がとても嬉しそうに微笑んだ。
「ええ、そうなんです!行ってきますね」
 スキップでもしかねない足取りを、老婦人はきっと今まで病気か何かでなかなか通学できなかったのね、と好意的に解釈した。
 それが幸福な誤解であることは、その老婦人に知られることはなかったのである。

「おっかえりー!学校どうだった!?」
 小鳥遊ミズスが柵扉を通り抜けたとき、どう見ても中学生以上には見えない少年が、つつましい庭園に植えられた蘇鉄の陰からひょっこり顔を出した。どうやら、伸びすぎた葉を刈り込んでいたらしい。金褐色の髪と、よく焼けた顔が妙なバランスを保っている。
「ん、面白かったよ♪ 監視付きっていうのがちょっといただけなかったけど」
「護衛と言って欲しいね」
 高校の制服を着た二人のうち、目つきの鋭いほうが憤然として言った。
「排他性でいったら、日本人はドイツ以上だぞ。黒目黒髪じゃないと『異人さん』とかいって人間扱いしないっていうじゃないか。ミスズにもしものことがあったらどうするのさ」
「ナオキ、データ古すぎだよ・・・」
 もう一人が、ナオキの肩を宥めるように叩く。なにやらどっと疲れをもよおしているようだ。
「前世紀初頭じゃあるまいし、今は日本だって立派な国際都市だよ。今日、ミスズに話し掛けてたけたたましい女の子だって、ハーフかクゥオーターだろう? それよりタカヒロ、サキは帰ってるかい?」
「午後の診察からまだ帰ってないと思うよ。あ、ミサヲねーちゃんはさっきキッチンでスコーン焼いてた」
「早速面白い人物と接触したよ。一応耳に入れといたほうがいいと思って」
「いたのか?例の・・・・」
「残念ながら本命じゃなくて、くわせ者の所長の息子のほう。まあ、親には似なかったらしくて・・・・なんていうか、見事に人畜無害だったなあ」
「なんだそりゃ」
 タカヒロと呼ばれた少年が、疑問符を舞わせながら枝刈り鋏を担ぐ。
「でもね、ずいぶん気にはしてるみたいだったわ。私のこと見て、ずーっと何か言いたそうな顔してたもの。やっぱり、似てるのかな?」
 ミスズの言葉に、一同首を捻る。なにぶんにも、ターゲットの顔は誰も知らないのだから無理もないが。
「それにしても、どうしてミスズなんだ?どうせなら、リエとかレミとか・・・俺でもよかったと思うんだけど」
「却下よ」
 ナオキの提案は、降ってきた声に一瞬で粉砕された。
「何で!?」
 ナオキが思わずむきになって反論したところで、エプロンのままのミサヲが勝手口から回って出てきているのに気づく。
「お帰りなさい、三人ともご苦労様。スコーン焼けてるから、鞄置いてダイニングにいらっしゃい。リエ達も帰ってきたし、状況を聞きましょ。タカヒロもそのあたりで切り上げたら」
「はーい」
 微風に乗って流れてくる香ばしさには誰も逆らえない。異口同音にそう答えて、子供達はエントランスに殺到した。

 広いリビングにはスコーンと紅茶の馥郁たる香りがゆったりと流れている。
「薮蛇にならなきゃいいがなぁ・・・・」
 高階マサキの開口一番は、一座の者を半瞬だけ粛然とさせた。・・・が、超然とカップから立ち昇る香気を顎にあてるミサヲに一蹴される。
「何を今更」
「・・・あのなミサヲ」
 マサキはぶち壊れた緊張感にがっくり肩を落とした。
「既にして巻き込まれてるっていう事実については残念ながら認めよう。しかし、強いて危ないことをする必要があるもんかな。釣糸を垂らすのはいいが、食いつかれて竿ごと水中に引き込まれる、なんてな御免だぞ」
「ふふー。えーさ、餌」
 ミスズが歌いながらくるりと舞う。冗談のようで冗談になってないので、マサキがさらに沈み込む。
「学齢期の女の子が学校に行く、これがどうして危ないの。・・・ナオキあたりを投入しちゃうとまあ危ないことの範疇に入っちゃうでしょうけど」
「何でそこで俺が引き合いに出されるんだ・・・」
 ナオキが傷ついたようにぼやいたのをきっちり黙殺して、ミサヲが言葉を続けた。
「状況の把握は必要よ。無関係なフィールドではないし、安全を確認しておくぐらいの気持ちでいいわ。『彼』も一時潜伏してたようだし、最悪のケースを考えたときに、一時的なシェルターとして使えるかも知れない」
「無関係じゃない、ってのは例の所長の息子とやらのことか?ユウキも言ってたが、俺も至って人畜無害と見たがねぇ・・・」
 吐息しながら、マサキ。
「無害かもしれないけど、アンテナは立てておくに若しくはなしよ。『彼』の接触がないとも限らないでしょ」
「でも、そうなったら・・・例の、ゼーレの『鳴らない鈴』が何らかの動きを見せる筈って言ってたのはマサキじゃなかったっけ」
 ユウキの言葉に、マサキは天を仰いだ。
「そうは思ってたんだが、どうにもあいつ自身相当虚脱しちまってるようだしな。・・・ま、餌は撒いてきたから、奴にまだ牙が残っていれば適当に鼻を利かせるだろうさ。どのみち、俺達だけで動くにはそろそろ手詰まりの感もある。まあ、人間リリンのことは人間リリンに始末つけてもらうのが本道だろうし、俺たちだけが苦労せんでも良かろうよ」
「手詰まりって・・・マサキ、何かほかに手ぇ打ってた訳?」
「・・・・タカヒロお前な、俺が年中午睡ひるねしてるように思ってないか?」
「だって時々、診察室で居眠りしてんじゃん」
 脱線しかけた話題は、ミサヲが引き戻した。
「リエとレミに例の研究所を探ってもらってたのよ」
「ず、ずるい!何でそんな面白そうなこと・・・!」
「ナオキが首突っ込んだら、「探る」んじゃなくて即『突入』になっちゃうでしょ」
 一刀両断したのは、青みすら帯びて見える見事な銀髪の、ややまなざしのきつい娘であった。レミと呼ばれる彼女の隣は、こちらは見事な黒髪の娘がうつらうつらしながら座を占めている。リエと呼ばれており、生活パターンが概ね夜型のため昼間はいつもこんな具合であった。
「・・・ったく、寄ってたかって人を爆弾みたいに・・・・。で何?なんか面白いもんでも出てきた?」
「面白いといえるかどうか・・・・」
 リエは手元のラップトップを操作して、リビングの一隅を占めるスクリーンにプロジェクター経由で画面を再生させた。表になったいくつかの数値が表示される。
「・・・・電力消費量?なんだこれ」
「人工進化研究所は名目上閉鎖されているわ。職員もほぼ全員が異動したことになってる。でも、施設そのものは明らかに動いてるわ。ネルフとかいう新しい組織に改編されたのは本当みたいね。ほとんど減っていない・・・というより、地上施設の運用が停止されていることを考えれば、却って増えているとさえ言える電力量がそれを裏付けてる」
「よくこんなデータ、取れたな」
「誰かさんには困難な、地道な調査の賜物よ。結構苦労したんだから。・・・・で、数字だけじゃちょっと判りにくいんで、比較対象を出すわ」
 数字が消え、月別の推移を示したグラフに代わる。割合に平坦な赤いグラフと並んで、それとほぼ斉しい青いグラフも表示された。だがこちらは、月による変動がある。
「赤いグラフは私たちで調べたネルフ本部のもの。青は第3新東京市全体の消費量・・・公に発表されているものよ」
「冗談と思いたいね。この大都市の消費量と、一個の研究所の消費量が同じだって?」
 マサキがげんなりしたように呟く。
「大部分は、別ルートから送電されているらしいの。自家発電のための施設も持ってると思うけど、多分非常用ね。・・・・でも、考えようによっては、通常これだけの電力を必要とする施設を、非常時なんとか維持する程度の発電施設はあるってことよ」
「さしあたって、シェルターぐらいは運用できそうだよね」
「万の単位の人間を楽に収容できる、ね。そんな膨大な電力使って、何やってんだか」
「まあ、どのみちろくでもない話に違いはないがね」
 マサキは吐息と一緒にそう言って、ゆっくりとティーカップを置いた。
「ミサヲ、悪いが外の塀に張り付いてるお客さん、通してやってくれ。意外と反応が早かったな」
 ミサヲがはっとしたように立ち上がる。タカヒロやナオキが色めきたつが、ユウキがそれを制した。

 かくて、リビングに通されてきたのは・・・・加持リョウジであった。
「お前さんも結構せっかちだね。電話番号知ってるんだから、用があるなら電話すりゃいいのに」
 泰然と応じる高階マサキの両側に並ぶ、不安げであったり、あからさまに警戒したり、あるいは逆に値踏みするような・・・・様々な瞳の凝視にも、加持は今更たじろいだりはしなかった。もう、そんなレベルはとうに越えてしまっている。
 高階マサキが、ゼーレ・・・もしくは人工進化研究所と何らかの接点を持っている。それが受動的なものか、能動的なものかはさておくとしても。それを嗅ぎ取らせるには十分な言質を、高階は残した。偶然ないし過失であろう筈はない。
 自分は、高階という人物について大きな誤解をしていたかもしれない。加持の疑念は、更なる謎かけのようなデータでもって報われた。高階マサキという人物を辿るのに、加持はまずその医師免許につてを求めたのだ。ところが、その取得年度は常識を超えていた。
 加持が大学在学中、高階は医学部に学生としての籍を持っていた・・・と思っていた。自分と同年代であると。だが、思い込みということだってあり得る。学生証を確かめたわけではないのだ。院生であったのかもしれないし、実は単に研究のために母校に出入りしていただけのOBという可能性だってあった。だが、現実に高階マサキの医師免許が交付されたのは・・・・・1968年のことなのである。そして、その生年月日は1943年4月・・・・。
 普通に考えるなら誤記としか思えない。
 病院ひとつ持つに至る経緯は不明。だが土地建物その他は紛れもなく彼の名義であり、1970年代半ばに取得されている。その記録は完全なものであり、少なくとも今世紀に入ってから捏造されたものではあり得なかった。何せ、黄ばみかけた証書が売り手側にきちんと残っていたのだ。
 ただし、開業そのものは割合に最近・・・そう、ほんの5年ほど前であったが、そのはるか以前に土地は高階の手に渡っていたことになる。
 第3新東京市民としての高階の登録も調べた。・・・・・・そこに記載された生年月日は、医師登録のそれと同一であった。ただし、出生した場所はドイツ。紛れもない日本国籍をもった両親から生まれ、戦後暫くして両親とともに帰国している。両親の死後、日本各地を転々としているが、その記録に偽造の形跡はない。
「高階、お前いったい本当は何歳いくつだ?・・・・・いや、一体何者だ?」
 高階は微笑い、おもむろに口を開いた。
「・・・Kaspar Hauser・・・」
「・・・何?」
「いや、何者か・・・・・それを俺も考えてたところだ」
 それはかつて、実験体として生成された少年が呟いた言葉と似ていたかもしれない。
「そうさな、なんて説明したものか・・・・。言うなれば、俺達はNephilimさ」
 加持はその時、旧知の筈の友人の微笑に・・・初めてカヲルに接触した時にも似た戦慄をおぼえた。
 Nephilim・・・ネフィリム。堕ちたる天使・グリゴリと人の子の混血。世にいうノアの大洪水によって一掃された呪われた種族。そんな古い知識の断片が、加持の脳裏をかすめる。だが、繋がらない。高階が言わんとしていることの真意が読めない。
「訂正しておいてやるよ。俺の医師免許と市民登録は確かに偽造したものだ。何せ、実際にいつ生まれたのか自分でも分からんのだから仕方ないだろう。1914年より前なのは間違いないらしいがな。一応医業で食ってく以上、一度は正規の手続きを踏んでるし、その後も勉強してるぞ?時々大学やらに紛れ込んで、新しい知識を仕入れたりもしてるし。…そうだな、お前さんに初めて会ったのはそうやって学生ごっこしてる時だったか」
 事も無げに、高階は言った。
「高階夫妻の実子ってのも嘘。ただし、これは高階夫妻自身が申請した結果であって、俺がやったわけじゃない。ヨーロッパを逃げ歩いてようやく帰国した時に、高階夫妻が当時の俺の外見年齢に見合った生年月日を適当に繕ってくれたのさ。戦後のドサクサで戸籍なんて偽造のし放題だったからな」
「・・・・・故意に論点をずらすのも、大概にしないか?」
 加持の呻くような言葉にも、人をくったような笑みで応じるのみ。
「別にずらしたつもりもないがね。・・・・さて、一体何を聞くつもりで来たんだい?」
「最初に訊いたとおりだ。・・・・・お前は何者かと」
「これはまた禅問答のようなことを」
「出生が1914年だと?今が一体何年だ。おまえ、自分がゼーレ並の年寄りだと強弁する気じゃあるまいな」
 高階の態度と裏腹に、周囲を取り囲む者達が殺気立つ。高階を除けば唯一面識のあるミサヲすら、かすかに目許を険しくしていた。
「事実だから仕方ないだろう・・・いや、それでも実はまだかなりサバを読んでるんだが。
・・・・でな、やめとけ。タケル」
 高階の声は、首筋に氷を押し当てられるような感触と同時だった。いつの間にか加持のすぐ後ろにひとりの青年が立っており、その手が加持の後ろ首にかかっていたのである。振り返ることもできないから取り囲んでいたうちの誰ともわからないが、その背丈が加持すらも凌駕する長身…雄偉な体格であることは知れた。
 氷に似た感触は、がっしりしたその手の温度によるものではない。その手にこめられた、引き絞られた弓のごとき殺意がもたらす寒気であった。
「・・・・・でも、サキ・・・」
 体格相応なのだろう。低い声なのだが、やや子供っぽい印象も受けた。
「こいつは確かにゼーレが『彼』につけた『鈴』だが、ゼーレ自体とはもう切れてるさ」
 その言葉に、さすがに加持が身構えた。
「いいから。・・・さしあたってその手を離してやれ。できることなら、お前に人殺しなんぞさせたくないよ」
 柔らかな表情のままで、高階は言った。
「加持もだ。ポケットの中の物騒なものから手を離せ。言っとくがタケルの握力と瞬発力なら、お前が抜くよりお前の頚骨が砕けるほうが早いぞ。あんまりうちの悪ガキどもを刺激してくれるな」
 加持は、ポケットの中の拳銃から手を離した。同時に、タケルと呼ばれた青年も加持の首から手を離す。
「お前は知っていたんだな。17-th cellのことも。・・・彼らのことも」
「・・・まったく知らなかったといえば嘘だな。だが、コトをもちこんだのがお前さんだって事実に違いはないぞ。俺達はなるべくなら不干渉でいたかったんだ。実際、実験体の坊やのことに関しては無心じゃいられなかったが・・・俺には守るものがあったんでな。
 ・・・・だから正直、俺は少々腹を立てているんだよ。半世紀もかけて、ようやく築いた平穏をぶち壊しにしてくれたお前さんにね」
 声音は相変わらず柔らかかった。だが、穏やかに見える双眸の奥に・・・向けられた者を射竦めるほどの苛烈な光がある。
「しかしまあ、済んでしまったことをぶちぶちとこぼしても仕方ない。お前さんには否が応でも巻き込まれてもらうよ」
 高階マサキは人の悪い笑みをして、加持を見据えた。
「何を掴んでる?・・・・・いや、迂遠だな・・・・今一体、何が起きようとしている・・・?」
「碇ゲンドウと人工進化研究所は表向きなり・・を潜めてるが、決して活動を停止したわけじゃない。文字通り地下へ潜ってるだけだ。おまけに始末が悪いことにはゼーレという枷が外れたぶん、外部からのコントロールを一切受け付けなくなってる。
 その暴走をなんとか穏便に収めたいというのが依頼者クライアントのご希望で、こっちに累が及ぶ前にあらゆる手段を講じてでも奴の人類補完計画とやらをぶっ潰したいというのが俺達の意向さ。そのためにも、なるべく早く彼と・・・あんたがたが『渚カヲル』と呼んでいるあの坊やと連絡がとりたい」
「何故?」
「彼に力を借りたいというのが一つ、ありていに言えば彼に暴走されてはこっちも後々コトがやりにくくなる可能性もあるから、早いとこ連絡とって共闘体制を建てたいってのが本音。彼の力は絶大なものだ。下手に衝突して狸に逆ギレされちゃかなわんのさ」
 一種突き放したような物言いは、高階の本音なのか、韜晦か。
「彼の居場所か・・・そんなもの、俺が知りたい・・・・」
「悪いが、俺達はお前にさほど期待をかけてる訳じゃない。もし、動きがあれば教えてくれというくらいのことさ。・・・・・むしろ、あの狸の息子のほうに接触があるほうが可能性が高いくらいでね。そっちはそっちで一応テは打ってあるが」
「…そちらのお嬢さんか」
 加持に視線を向けられ、ミスズが身を硬くする。それを庇うようにナオキが一歩前へ出た。
「まあな。ついでに、妙なトラブルに巻き込まれないように気を配って貰えれば有難い。お前さん、あの学校で用務員の真似事みたいなことやってるんだって?」
「…真似事じゃなくて、目下の本業だがね」
 半ばつぶやきのように訂正を加えた加持の口許は、自嘲で歪んでいた。それに気づかぬふうに、あるいは黙殺して、高階は全く関係のないことを持ち出した。
「そりゃご無礼。・・・さて、スコーンが焼けてるんだが、食べていくかね?」
「・・・折角のところ悪いが遠慮しておくよ。家族の団欒を邪魔するほど野暮じゃないつもりだ。おまけに、さっきから首筋がちくちくしてしょうがない」
 なおも殺気だった複数の視線が背中に突き刺さっている状態に何も変わりはない。とても、優雅にお茶に付き合える雰囲気ではなかった。
「そうかい。じゃあ、気をつけて帰れよ。それと・・・一応警告しておく。「ネルフ」に改組された人工進化研究所が、ゼーレの爺さん方より扱いやすいと思わんことだ。俺たちだって、下手うつと命懸けになりかねん。・・・探るのは勝手だが、俺たちの邪魔はしてくれるなよ」
 至って穏やかな所作に何も変わりはなかったが、最後の一言だけは加持が思わず慄然とするほどに冷徹な響きを持っていた。
「・・・ああ、肝に銘じておく」

 葛城ミサトは、殺風景な部屋の中にぽつんと置かれた椅子に座して面談相手が現れるのを待っていた。タイトスカートで足を組むという格好は決して褒められたものではないが、彼女がするとひどく堂々として見えるのが不思議なところではある。
 彼女は正直なところ、最初はこんなところに来るつもりはなかった。
 何かの間違いでなかったとしたら、新手の詐欺に違いないと思ったのである。昨秋に初めて連絡があった時は言下に断ったが、あの風変わりな転校生だ。何かが動き始めた。そう思って、出頭することにしたのである。
 虎穴に入らずんば虎児を得ず。まあ、自身が頭から喰われてしまうというリスクを考えなくはなかったが、あのままにしておくにはあまりにも心地悪い。
 照明が落ち、暗闇の中でミサトと対面の位置に立体映像が浮かび上がった。
 元・人工進化研究所所長・・・現・ネルフ総司令、碇ゲンドウ。
 ミサトはやおら立ち上がり、単刀直入に訊いた。
「御用の向きは?碇司令」
 一切の前置きはない。そんなものを弄する相手でもない。
「話が早くて助かる。・・・葛城ミサト一尉」
「失礼ですけど、私は務めきれずに除隊しました。恥ずかしながら生きていくために士官学校へ入った人間ですからね。ご存知の筈です。だから中学校で教師してるんですが」
「一尉待遇で軍籍に戻す。不服かね?」
「理由がありません。仕事もね」
「仕事はある。・・・これから起こる使徒襲来・・・・に向けて、君に作戦部の指揮を執ってもらいたい」
「何故私です。実戦経験もないのに。それと、使徒・・とは何ですか」
「君には卓越した戦術センスがあると聞いている。シミュレーションとはいえ、不利な状況であればあるほど・・・それも、普通の者なら考えつかないような戦術で、おそろしく高率に勝利をおさめると。
 君の記録も見せてもらった。確かにユニークだな」
「お褒めにあずかり光栄です。でも、所詮はシミュレーション、実戦ではありませんわ」
「ご謙遜だな。だが、この件に限り、人類史上に実戦経験を有する者など存在しない。・・・それが、使徒・・との戦いだ。

  使徒Angel・・・2000年の南極で、君の父上を殺した者だよ」

 ミサトの目許が、僅かに引き攣った。

――――――第六話 了――――――