第八話 使徒、襲来

水面の光

Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「All’s right with the world」

 レミとやや似通った容姿だが、その髪は闇そのものの漆黒。リエと呼ばれている。
 完全な夜型という生活パターンの持ち主で、コンピュータとそのネットワークシステムに関しては抜きん出た才能を有していた。ただしその資質は地道な研鑽の賜物であって、決して現代科学で説明のつかないような特異な現象を引き起こす訳ではない。・・・あくまでもコンピュータとネットワークシステムに関して、であるが。
 リエの基本的な役目ポジションは周囲の監視および連絡の中継、そして「移動」であった。部屋から一歩も出ることなく、周囲の動きを把握して皆に必要な連絡を行い、場合によっては人員の「移動」を行う。
 ネフィリム達の間にはある程度の精神感応が存在するが、通常の連絡は至って普通に携帯電話を使用していた。・・・ただし、作戦遂行時はリエが強烈な割り込みをかけて何重にも回線を確保する。また、市内各所公的私的を問わず、ネットに接続を持つあらゆるカメラが捉える映像を入手し、またそのカメラに関して干渉をかけることができた。
 ただ、ジオフロントには歯が立たなかった。特殊な防御機構ファイアウォールがあるのだろう、ジオフロント内の情報端末やカメラの類にはまだ手が届かない。マサキが潜ることでその壁に綻びが出来ないものかと合間でハッキングを試みてはいたが、今のところ芳しい結果は得られていなかった。
 もう一つ言えば、残念ながら現時点でリエの「特技」もジオフロントには及ばない。
 予定時間を過ぎてもマサキとの通信が回復しなかった時は行動開始。…そういう約束だ。
 画面の端、予定時間までのカウントダウンがゼロになるまであと5分。だが、50秒前に突如ジオフロント全体の防衛準備態勢ディフェンスコンディション最高位レッドに引き上げられた。電気や水を含むすべてのラインが閉鎖されたのだ。何度か確認したが、間違いない。ジオフロントは隔離されている。
 これでは、マサキが脱出できない。何が起きたのか、もはや明確であった。
「…イサナ、どう?」
 回線の一つを開いて、リエが問うた。
【…最悪だ】
 端的な答えが返ってきた。余り感情を表に出すことのないイサナの、隠れもない不機嫌に思わず問い返す。
「ちょっと、大丈夫?」
【悪い酒を飲まされて、宿酔ふつかよいのまま、睡眠不足の上に更に朝一番で緊急の検体を20件ぐらい入れられたらこんな感じだな。最高に気分が悪い】
「…イサナの喩えは時々わかりにくいけど、まあ言いたいことは判ったわ」
 苦虫を噛み潰しながら、リエが唸る。
 イサナはジオフロントの入口になる人工進化研究所の、『対使徒結界』とやらの調査に当たっていた。研究所の周囲は無粋なコンクリートの壁が取り巻いていたが、どうやらそれだけではないらしい。壁の合間に均等な距離で佇立するポールに刻まれた文様が、 自分達ネフィリムの能力を抑制する効力をもっているらしい…というのが碇ユイ博士からの情報で、その正体を確かめるためにイサナが人工進化研究所に接近を試みたのだった。
 以前リエとレミで調査に当たったときは、データを遠隔で吸い取っただけなので研究所自体に近寄った訳ではない。こんな物騒なものがあるなどと、想像もしていなかった。
【…先刻まではそれほどひどくなかった。件のポールが少しだけ伸びて、文様部分が露出してからだ。多分、文様単体でそれほど効力のあるモノではないんだろう。電気的な刺激で活性化させるプロセスが必要で、しかもその刺激は効力を維持する間必要なんだ。どの程度のものか判らんが、呪詛柱には何らかの電力供給がある」
「だとしたら、物理消去でも一定の効果はあるわね」
「大体、『呪詛』なんてあり得ん。何らかの生物兵器と考えるのが合理的だろう。くだん生物災害バイオハザードの副産物という話が真実味を帯びてきたな。ひょっとしたら、『彼』が自身を封じるための仕掛けだったのかもしれない。『彼』が自身の複製を拒むために組み上げておいたナノマシンという可能性だって十分にある。
 もしそうなら…致死性はないにしても一時行動不能に陥るかもしれない。触ってもないのに症状が出るんだから、空気感染と考えるべきだ。とりあえずタケルとタカヒロを一旦安全圏まで後退さがらせろ。俺は何とか検体を削り取ってから退く】
 そう言って呼吸を整え始めるイサナに、リエが慌てて釘を刺す。
「冗談じゃないわ、このうえイサナがダウンしたら誰があの二人の手綱とるのよ。サキとも連絡途絶してるのに。暢気に解析してるほどの猶予がないわ。イサナも退いて!支援組に狙撃させるのが上策よ。ユウキの『特製』で文様を灼く!」
【サキと連絡途絶!?】
「そこは予定内。結界内は多分そうなるだろうって…でも、水脈みちが断たれた。サキの自力脱出は不可能よ。突入組にGOを出すわ。もう、悠長なこと言ってらんない。なんかよく判らない危なげなモノなんて、物理消去ってのが常道でしょ」
【乱暴な話だな。それでどうにかなるのか?】
「そんなの、やってみなくちゃわからないわよ。でも、あなたが行動不能に陥ったらサキを助け出すどころじゃなくなる。最悪、サキだけじゃなく突入組タケルとタカヒロが連中の手に落ちるわよ」
【…了解した。現状での解析は諦める。ただ俺はもう何らかの影響を受けていると考えるべきだ。伝染性があるという可能性を排除できない以上、検体はやはり必要だろう。それから、安全が確認出来るまで俺は極力誰とも接触しないほうがいい。タケル達への指示は電話越しにする。それでいいか】
「わかったわ。タカヒロがキレないことを祈るしかないわね」
 通話が切れると、リエはふっと息を吐いた。イサナの徹底した合理主義はこういうときに助かる。結局押し切られた感もあるが、筋は通っている。感情に流されることなく必要と判断したことは必ず実行するし、気になっていたとしても優先度が低いと判断すれば決して危険は冒さない。
「ミサヲ・・・」
 リエが後ろを振り返る。やや青ざめているのはディスプレイの反射だけの所為ではなさそうだったが、ミサヲは表情を変えないままに頷いた。
「リエ、行動開始。ミスズとレミに連絡して。呪詛柱は灼き切る。その上で特殊装甲を抜いて、突入よ」

 落ち着いて転移先を走査スキャンする間が与えられないため、どうしても移動が短距離になる。いい加減、息が上がってきてもいた。
 マサキとしては、葛城ミサトとの遭遇は全くの不意討ちだった。とにかく気配を殺すことに専心していたから、あの場で発砲されていたらそこで終わっていただろう。
 ただ、思わず派手に障壁・・・NERVの言うところのATフィールドを展開したのは迂闊だったとしか言い様がない。あの時点でまだ、彼女が自分を敵と認識していた訳ではなかった。それに気づいて適当に取り繕ったが…。
「多分、もうバレてるよな・・・」
 あの直後から警報が鳴り響き、撤退しようにもジオフロント全体がシールドされてしまって水脈みちも追えなくなった。恐らく、敵襲と同時にジオフロントを隔離するシステムなのだろう。それがこの際、侵入者を封じ込める機能を持ってしまったということか。
 考えるだに面倒臭いことになっているのが明らかなだけに、思わずため息が出そうになる。もちろんそんな暇はなく、ひたすら走り続けるだけだが。来た道からの撤退が不可能になってしまった以上、レミとカツミをあのダムに伏せる意味は無くなった。ミサヲとリエが早めにその判断をしてくれればいいが。

 空調の効いた空気ではなく、天然の湿気を含んだ風の存在をすぐ近くに感じて、マサキは目の前の気密扉ハッチを蹴りつける。タケルのようには行かないが、この程度の扉ならなんとかなる!
 橙赤色の光の飛沫が散る。果たせるかな、扉が吹き飛んだ。
 清爽な風が吹き込み、迷わずその風の中に身を投じる。
 青い光沢を持った装甲壁の斜面に着地すると、そのまま滑り降りる。
 目の前に開けた空間・・・ジオフロントのなだらかな地平のそこかしこに、凶悪な兵器の数々が頭を擡げるのを視認した。
 どう見ても対人兵器ではない。やはり、何かが間違っている。
「通常兵器なだけ、まだマシか。・・・ええい、やってやる!」
 イヤな記憶が脳裏を過ぎり、それを振り捨てるのに僅かながら時間を要する。だが、先陣を切って飛来するミサイルがその時間さえ十分に与えてはくれなかった。
 弾頭が中空で拡散した。多弾頭型ときたものだ。
「最悪、NERVの連中に研究材料を提供するような・・・無様ブザマなことだけはしたくないな」
 そして、巨大な水柱が上がった。