第八話 使徒、襲来

水面の光

Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「All’s right with the world」

「誰かが・・・私のネットに割り込みをかけてる・・・」
 リエが複数のキーボードを殆ど同時に叩きながら呟いた。
「気づかれた?」
 ミサヲが身を乗り出す。
「いえ、多分ネルフや当局じゃないわ。・・・妨害されてる感じじゃない。ミスズやタカヒロとの回線はちゃんと生きてる」
「こっちを探ろうとしてるの?」
「・・・いえ、むしろ・・・接続要求? しめた、ジオフロントが見える!」
 リエの言葉通り、先刻までNo Signalという白い文字と共に青一色だった画面ウィンドウに画像が結ばれていた。デジタルノイズがかかって判別しづらい上に固まっていたが・・・数秒を経ずに、ノイズが一掃されて画像が動き出す。
「・・・!」
 ロングショットではあったが、本部施設とその周辺が映っていた。白い装甲を纏った異形の兵士の姿を捉える。
「やだ、サキったらもう囲まれてるんじゃない」
 より詳細な状況を把握するために操作を続けるリエ。その椅子の背にかかっていたミサヲの指先に力が入る。
 その時、非通知のコールが入った。手の塞がっているリエがいきり立つ。
「誰この忙しいときにっ!!」
 この状況で非通知の着信というのは既に異常であることを認識するような余裕は、リエにもミサヲにもなかった。ミサヲが回線を開いたが、一瞬迂闊だったかと冷汗が背を伝う。
 だが、伝わってきた声は。
【MAGIへのアクセスコードは確保したよ。エヴァはこっちで抑える。サキは負傷してるから撤退を最優先で】
 誰なのか、問うまでもなかった。
「・・・って、あなた・・・!」
【僕も行く。結界は壊れたから座標さえあれば転送可能だろう。よろしく】
 こちらの当惑を一顧だにしない調子に、リエはとっさに文句を言い損ねた。回線ではなく精神感応で座標が送られてくる。・・・躊躇する時間はなかった。
「・・・まったく、勝手なんだから! 病み上がりのくせに無理しちゃって。早速怪我してくるんじゃないわよ?」
【ありがとう】
 穏やかな笑みを含んだ声が途切れる。・・・ふと、生まれた空隙にリエとミサヲは顔を見合わせ、破顔一笑する。
「アクアリウムに下りてくるわ。・・・ユカリが面食らってるでしょうから。リエ、あとよろしくね」

「地表部で爆発・・・3番モノレールの軌道が大破!」
 発令所がどよめく。
「地表結界が破れました。呪詛柱はすべて無効です。地上設備の一部も爆破された模様・・・」
「敵か」
 こんな時でも、司令の声に動揺を窺うことはできない。予測範囲内だからか。それとも単に鈍いのか。完全に傍観者の立場に置かれたミサトは、おかげで幾分冷静に状況を俯瞰出来るようになっていた。半分は、どうにもならないという居直りでもあったが。
「不明です。地上設備には今、殆ど人員が配置されていなくて・・・別のモノレールから警備部が上がってますが、付近のカメラに敵影なし・・・かなり遠距離からの攻撃と見られます」
「対戦車ミサイルでも撃ち込まれたっての?」
「ミサイルならレーダーで捕捉出来たはずですが・・・」
「だとしたらライフルで狙撃?・・・冗談、例え炸裂弾だったとしても、あの扉を打ち抜くほどの破壊力はない・・・余程の貫通力ね。通常の兵器とは考えにくいわ。」
 ディスプレイに表示される情報にざっと目を通したミサトは、決然と顔を上げた。
「司令、地上部隊の指揮に当たりたいのですが」
「・・・許可する」
 ミサトは傍らの格納庫から拳銃と予備弾倉をいくつか出すと、ポケットに捻じ込んだ。その様子を幾分心細げに振り仰ぐオペレーターに気づいて、短く言った。
「ごめん、あとよろしく。情報は逐次私の端末に回して」
「は、はい・・・」
 虐殺の現場をモニター越しに観察する趣味はない。地上で扉を吹き飛ばしたのがどんな化物であれ、ミサトにとってはまだしもその化物の相手をするほうが生産的に思えた。

 ミサヲは階下へ下りようとして、家の周囲に不快な気配を感じ取った。
 ―――――銃を持った、人間。
 子供達が出払ったあと、一度戸締まりはした。だが、そのスジの人間が侵入するつもりで来れば、こんな古い家の扉なぞ無いと同じだ。
 人工進化研究所跡で爆発騒ぎが起きたあとだから、市内を警察や消防、場合によっては軍が動いていたとしても不思議はないが、ここは第3新東京市でも郊外に位置している。
「ユカリ・・・ユカリ!」
 イヤな予感に、ミサヲは駆け下りる足を速める。玄関のキーボックスを開け、裏板に貼り付けられた 拳銃ベレッタを取り出す。
「ミサヲ姉!? あのね、今・・・どしたの?」
 地階への階段から、ユカリが顔を出す。最前の出来事を嬉々として話そうとしたらしいが、ミサヲの剣幕に口を噤む。
「アクアリウムに戻って、内から鍵をかけて。・・・私がいいって言うまで、出てきちゃ駄目よ?」
「う、うん・・・」
 この状況で、ここを狙ってくるのは誰だ。今、殆どの子供達が出払っていると知っている者。子供達の個々の能力までは知られていないはずだが・・・私たちをネフィリムだと知っている者。
 碇 ユイ!?
 裏切るのか。やはり、ゼーレの後裔でしかなかったのか?

 一瞬遅れて、壁に衝突した火球が爆発した。ジオフロントが鳴動し、天井の構造物が揺らいで落ちる。
「―――――え?」
 …ここまでやるか。
 途方もない光景に、マサキは思わず間の抜けた声を発してしまった。
 ジオフロント天井部からさながらシャンデリアのように突き出ているビル群が、突如として崩壊した。・・・否、切り裂かれて落ちた。黄金色の鞭のような光条がうねり、音もなく切り裂いたのだ。
 ジオフロントと地表をつなぐモノレールの軌道も寸断される。落下物はジオフロントに凄まじい爆風をもたらした。
「やっほー! サキ、まだ生きてるかー!?」
 光条を操り、天井から降下してきたのは、タカヒロだった。庭仕事からもどったばかりという格好で、まるでおやつの時間を知らせに下りてきたような気楽さである。・・・いや、もう一人いた。タカヒロは無造作にその同伴者を空中に放り出す。
「やっちゃえ、タケル!」
 ジオフロントの大気を、絶叫が震撼させた。
 タケルがほぼ垂直に降下…いや、落下しながら咆哮をあげる。着地すると見えた一瞬、ジオフロントの大地に見えない巨大な鉄球でも落下したかのようなクレーターが穿たれ、凄まじい風が四方を薙いだ。
 マサキはとっさに地上に伏せたが、立ったままだったαエヴァは横っ面を張られたかのように吹き飛んでいく。
 しかし、嵐はそこで収まらなかった。タケルはマサキの位置を視認すると、咆哮をあげながら全力疾走を始めたのである。その軌跡はジオフロントに巨大な空濠からぼりを穿ち、その軌道上にある迎撃設備をことごとく粉砕した。
「おーいタケル、そのまんま走ったらサキまで潰しちまうぞー」
 タカヒロがのんびりと声をかける。こちらは光条をするすると伸ばしてゆっくりと地表まで降下したのだが、タケルの剣幕に多少危機感を覚えたらしい。天井からザイルのように伸びていたそれを一度引き戻し、改めてタケルのほうへ向かって はしらせた。
 聞こえていないと判断したのか、最初からそのつもりだったか、タカヒロは光条でタケルの足を引っかけた。そもそも足許を全く気にしていなかったタケルがもんどり打って転がる。軽く3回転はしたが、4回転目で四肢を突っ張って踏みとどまると、牙をむきかねない勢いで怒鳴った。
「何しやがる!」
「だーかーらー、危ないって。ほら」
 タカヒロの指摘に、地上に伏せたマサキが起きないのではなく起きられないのだ、ということに気づいたタケルが泣きそうになってへたり込む。一見して20歳を超えているうえ、体格がよいだけにあまり見てくれの良い格好ではなかったが、タカヒロは丁重に無視してその脇をすり抜けた。
「あーあ、 ひどいことになっちゃって。・・・大丈夫かよ?」
 マサキの傍に片膝をつくタカヒロの口調は相変わらず軽かったが、周囲を覆う赤黒い泥濘に怯んでいるのは確かだった。
「何とか生きてるよ、おかげさんでね」
 さすがに蒼ざめてはいたが、マサキの口許には笑みがあった。
「・・・感心してないでこれを抜いてくれ。・・・やっぱり、こいつが刺さってると力が入らん。こんなもんまで 複製コピーしやがって、始末に悪い」
 マサキは悪態をつきながら何とか身を起こすが、立ち上がれない。
「えー、おれが?抜くの?なんか怖いんだけど」
 右肩を貫く槍はおそらく鎖骨下動脈をかすって肩甲骨を貫通している。抜くには多少力が要るし、タイミングを誤れば一時的に意識を失う危険もある。だが、現生人類リリンならいざ知らず、この程度ならどうにかなりそうだ。
 ただ、何よりこの忌まわしい槍は確実に生命エネルギーとでも言うべきものを収奪する性質を持っていた。
「自分で抜けるものならそうしてる。 ・・・タケル、そこでヘタってないでもういっぺん周囲まわりはたいとけ。奴ら、すぐに起き上がってくるぞ」
「わ、わかった」
 タケルがあたふたとマサキの傍まで来ると、先刻の 悄然しょんぼりとした様子が何かの間違いだったように周囲を めつける。一瞬遅れて、衝撃波が同心円状に周囲を…立ち上がりかけていたαエヴァを薙ぎ払った。
「・・・抜いても、サキ死んだりしないよな? 前に言ってたじゃないか、下手に刺さってるもの抜いたら、出血性ショックっての起こすことがあるから注意しろって」
やかましい、うだうだ言ってないでさっさと抜けって。心配するな、もう十分ショック症状起こしてるから。我ながら意識があるのが不思議なくらいだよ。・・・意識のあるうちに抜いとかないと塞ぐ自信が・・・」
 勢いに任せてまくし立てたところで、マサキは自身の首筋を冷汗が伝い落ちるのを感じた。急激に視界が昏くなる。不味いな、どうやらもう時間がない・・・と思った時、不意に槍が引き抜かれた。
「・・・っ!」
 思わずマサキが呼吸を停める。だが、目の前のタカヒロはあっけにとられたような顔をしているだけだ。
 やや狭くなった視界の中で、からりと槍が投げ捨てられるのが見えた。
「相変わらず、無茶苦茶なひとですね」
 やけに近いところで声がする。貫通創には、パーカーらしきものと一緒に誰かの手が押し当てられていた。薄い水色であったとおぼしきパーカーは一瞬で赤黒く染まってしまったが、槍の呪縛を逃れた傷は既に出血が止まりつつあった。

「・・・なんだお前、起きてたのか・・・・・・

 タカヒロの声に、マサキはそちらを見ようとこうべを巡らす。だが、身体が動かない。幾ら何でも出血が多過ぎだ。相当血圧が下がってるな、と場違いな分析をしながら、立ち上がろうとして片手を泥濘の中についた。…しかし、十分な力が入らずに手が滑る。再び沈み込みそうになる身体を、その誰か・・が支えた。
 その時初めて、マサキは誰かに背後から支えられていたことに気づいた。背中側の傷口にも至極妥当な圧で手が当てられている。…誰だ。タカヒロは目の前でしゃがみ込んだままだし、その向こうでタケルが拾った槍でα-エヴァを撫で斬りにしているのが朦朧とした視界に入った。
 霞がかかったような意識と、かすかな違和感に事態が頭の中でうまく繋がらなくて、目を閉じて頭を振る。
「お願いですから、せめて出血が止まるまで大人しくしててくださいよ。あとからちゃんと説明しますから」
 この声を憶えている。確かに憶えている…だが、繋がらない。
「・・・誰・・・?」
 マサキが身動みじろぎしようとするのを抑え、問いに答えないまま委細構わず話を進める。
「タカヒロ、とりあえず撤退だよ…通路の再接続を頼んでくれ。このままじゃどうにもならないよ。ついでにそこの槍、二、三本拾っておいてくれるかな。後で何かの役に立つかも知れない」
「りょーかい」
「・・・もっと面倒なのが出てくる前に・・・って、遅かったかな?」
 周囲数カ所でシャッターが開き、リニアレールが展開される音がした。
 何かが、来る。
「起動しちゃったみたいだね。実戦用のほうのエヴァも」
「わ、冗談・・・」
 タカヒロが呻く。全高はゆうに30mを超えるであろう。先刻までマサキをとり囲んでいたα型をそのまま拡大したような、凶悪な輪郭フォルム。それが延伸されたリニアレールに載った状態で姿を現したのである。
 一瞬の空白。その時、直径2m程の闇色の穴がタカヒロの背後に出現した。連絡を受けたリエがタカヒロの座標を元に空間を接続したのである。
「…どーでもいいけど…こんなでっかい人形こさえて、何をどうするつもりだって!? 俺たちを何だと思ってんだよ奴らは!」
 何か妙に腹が立ったらしい。タカヒロはその巨大な偶像にも似た物を指して毒づいた。だが、ひとつとしてリニアレールから動こうとしない。
 タケルもタカヒロと同様の感想を抱いたものと見えて、物も言わずにその場から指向性の衝撃波を放つ。
「タケル、タカヒロ、相手にしちゃ駄目だ。ここは退いて…!」
 彼がその言葉を言い終わらないうちに、タケルの放った衝撃波がリニアレールを粗悪な割箸のように容易く叩き折る。
 支えを失ってゆっくりと倒れていくエヴァは、その時まさに本部施設のゲートから出てきた兵員輸送車をまともに巻き込んだ。
「…あ」
 兵員輸送車も通常、かなり丈夫に出来ているものではあるが・・・さすがに10階建ての建造物に等しい物体が倒壊した直下ではひとたまりもなかったらしい。
 轟音、そして濛々たる土埃の中から、粉砕された輸送車の残骸が飛散してきた。
 ・・・輸送されていた人員も。
 思わぬ結果に、タカヒロとタケルが思わず声を失う。
「・・・ま、不幸な事故だな」
 マサキが悲惨な光景を端的に締め括った。ようやく視界が回復してきたのだ。緋の泥濘の中に座り込んだままではあったが、至極冷静にそう言い放つ。
「帰るぞ。つきあってられるか」
 そして強引に立ち上がろうとするのを、彼が慌てて制止にかかる。その声は悲鳴に近かった。
「無茶しないでくださいって! どんな状態だか、あなたが一番よく判ってるでしょうに!」
「出血は止まってる。長居は無用だろう。…っていうか、そろそろ放せ。ついでに言うと、耳許で騒ぐな、耳許で。くすぐったくってかなわん」
「…あ、はい」
 マサキが努めて冷静に言い放つ。それで向こうも冷静さを取り戻したものとみえ、あっさりと傷口を押さえていた手が離された。確かにそれ以上出血する様子はない。
 まさにその時、二次爆発が起こった。燃料か、搭載していた火器だかに引火したのだろう。咄嗟にタケルが張った障壁シールドのおかげでマサキ達にはなんら被害はなかったが、目の前へ吹き飛ばされてきた人物に一同声を失った。
 女性だった。紅いジャケットに黒いレザー調のミニタイト、同色のショートブーツ。どうにも軍用のものとは思えない身なりではあったが、ジャケットと同色のベレー帽―とっさに頭を庇ったときに一緒に押さえたのだろう―には、この女性が一尉待遇にあることが知れる徽章がついていた。つやのよい豊かな黒髪の下、額の傷から僅かに血が流れている。
 ネルフ作戦部長、葛城ミサト一尉!?
「…って、何だってこんなところに…!?」
 マサキは傷を押さえながらも何とか自分で立ち上がったが、俄に身体が言うことを聞いてくれなかったために、動きは遅れた。その間に彼が進み出て、彼女の傍らに身を屈める。
「GCS…E1-V2-M4、合計7点・・・頭部体幹部の穿通性外傷なし。 胸郭動揺フレイルチェスト、骨盤損傷なし。脈拍と呼吸と対光反射は正常。頭部は…額の擦過傷だけかな?」
 短い時間での簡潔な診断。だが、マサキが確認しようとした項目は網羅していた。
「完璧だ。…やれやれ、運がいいのか悪いのかわからん御仁だな」
「・・・この女性ひと、ここに置いていくわけにはいきませんよね。いろいろと」
 全てを諒解しているように、彼は身を屈めたままマサキをかえりみた。
「そのようだな。・・・あとから本人に文句言われるかも知れんが、とりあえず知らんぷりって訳にはいかんだろ」
「了解・・・」
 ミサトを抱え上げると、彼が立ち上がる。その時になって初めて、マサキは違和感の正体に気づいた。
 栗色の伸びすぎた髪を無造作に後ろでまとめ、肩幅が余るシャツと丈の足りないジーンズ、しかも靴さえなく素足という中途半端な 姿ナリではある。だが、それはこの際些末と言っていい。
 …ほぼ半世紀、地下で眠り続けていた最後の同胞。皆の記憶にある「彼」は、15歳前後の少年であった。
「お前…?」
 だが、今彼等の前にいるのは…多少線は細いが十分に青年で通る姿だった。
 違和感に気づいたのはマサキだけではないとみえて、タカヒロとタケルも固まってしまった。
 それに気づいたか、彼は微笑って言った。
「・・・まあ、細かい話は帰ってからということで、ね」

――――――第八話 了――――――