第参話 Moonlight Waltz


Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「All’s right with the world」

【17th-cellは彼女が全て始末してしまった、というのではないのかね】
【現存するのは《彼》だけだと】
「私もそう聞いています。《彼》の見解も一致しています」
【では、何だというのかね、あれ・・は】
「現時点ではデータ不足としか申し上げようがありません。しかし冬月教授の養子としての戸籍は、捏造ではあるにしろ現実に存在します。向こうの罠、あるいは囮という線は確実と考えられます。うかつに手を出すと向こうの思う壺かと」
【要するに、こっちから手を出すのは得策ではないと考えている訳だな、君は】
「はい」
【《彼》の見解はどうなのかね】
 あなたがたが《彼》の思惑を気にするんですか。そう、皮肉の一つも言いたくなったが、結局口にしたのは別のことだった。
「彼にはまだ、戸籍の調査結果については知らせてありません。冬月教授と関連がないなら無視するとは言っていましたが、あった場合は、何とも」
【そうか。では、当面は向こうの出方を見たまえ。事と次第によっては捕獲もあり得るが、その場合はこちらから人員を送る用意もしておく】
「・・・・・・・はい」
 薄暗い部屋の中に浮いていたホログラムが消え、部屋は完全に闇に包まれた。と、一拍の間を置いて照明がつく。
 白い壁面に囲まれた殺風景な部屋には、椅子が一つ。そこには加持リョウジがただ一人、座っていた。
 「事と次第によっては捕獲・・」ときたものだ。
 加持はおさまりの悪い頭髪をかき回し、殺風景な部屋をあとにした。

「どうしよう・・・カヲル?」
 夕食のオムレツにぱくつきながら、レイの顔色はいま一つ冴えない。
 加持から連絡が来た。やはり、冬月・・・人工進化研究所・副所長、冬月コウゾウの子としての戸籍を持っていると。
「そうだね・・・・」
 フォークを置いて、カヲル。
 内偵のための駒にしては目立ち過ぎる。そのうえぬけぬけと、すぐに関連づけられるような名を名乗らせたりはすまい。あと、残るは。
「挑発されてるのかな、ひょっとして」
 紅瞳が不敵な光を放つ。しかしレイの、少し怯んだような表情を見て破顔一笑した。
「・・・・嘘だよ。何もしないさ。レイは普通どおり学校へ行ってくれないか」
「・・・・カヲルは?」
 少し不安そうなレイの前髪に、軽く触れる。
「行くさ。こっちがびくびくしていなければならない理由は何もないよ。ただちょっと、途中でエスケープするかもしれないけど」
「カヲルったら・・・本気で碇君と同じ学年になるつもり?」
 はぐらかされていると知っていながら、レイはカヲルの言葉に安堵する。・・・そう、いつもこの笑みに守られているのだ。今度のことで、カヲルはレイ以上に心中穏やかでない筈なのに・・・・・。
 そう思えば、胸に痛みさえ感じる。それさえも吹き払うように、カヲルが気楽に言った。
「・・・そうなると、レイに宿題写させて貰えて楽だなぁ・・・・」

 夏の到来。しかしそれは第一学期の期末試験の到来でもあった。
 学年内では中の中であるシンジは、入学から10位以内をキープしているアスカに尻を叩かれつつ、試験勉強に向かうのが常だった。今年も何が変わるではなかったが、ただ違うのは、面子が増えたことだ。レイ、である。
 トウジやケンスケもまじえ、家族がいない・・・つまりは家を好きに使えるシンジ宅にどっと集まるのだ。毎度さながら合宿のような様相すら呈する。
「あんた莫迦ぁ!? そんなん授業で何度もやったじゃない!!」
 普段これほどの屈辱に甘んじるトウジではなかったが、楽しい夏休みのことを思えば韓信の心境でぐっと耐える。確かにアスカは頭もよいが、ヤマ当ての名人でもあり、口の悪ささえ計算に入れなければ教え方も上手いのだ。
「そろそろ夜食作ろうか?」
 シンジが立ち上がると、手伝いにヒカリとレイが立つ。皆が持ち寄ったものが詰め込まれた冷蔵庫を覗き込んだ末、ピザにしようということで落ち着く。
 シンジとヒカリがピザ担当、レイがコーヒーを受けた。
「そういえば、綾波さんのお兄さんにそっくりな一年生、いたでしょ」
 冷凍のパイ生地を解凍するかたわら、思いついたようにヒカリが切り出す。レイははっとしたようだったが、過剰な反応はしなかった。
「ああ、そういえば妹さんと同じクラスだっけ?」
 先日の困惑を思い出しつつ、シンジが苦笑いする。どうもあの顔に「先輩」等と呼ばれたことを思い出すと、いまだに違和感の嵐に襲われる。
「すごいんだって。普段はぼうっとしてる風なんだけど、この間の数学の抜き打ちで、一人だけ満点だったんだって。まだここでは殆ど授業受けてないっていうのにね」
「・・・・カヲルみたい」
 呆れたように、レイが呟く。
「そういやカヲル君て、この間の実力、20番内につけてたんだってね。あんまり授業受けてないのに、すごいなあ」
 そこそこ真面目に授業を受け、そこそこまともに勉強しているつもりなのに、そこそこの成績しかあげられないシンジとしては、羨望に値することであった。
「単に・・・・要領いいのよ、カヲルは」
 レイあたりはそう一蹴するのだが・・・・・・・・。

 その頃「要領のいい」筈のカヲルは、まだ学校にいた。用務員室の端末から冬月タカミの情報にアクセスしていたのだ。
 しかし労多くして益少なく、現住所以外のデータが捏造されたものばかりということが分かっただけだった。
 もっとも学校に届けられているデータは、彼が冬月教授の息子であるという触れ込みを裏付けるためだけの代物に過ぎないだろう。むしろ、うかつに手を出せばこっちの所在を知らしめてしまう結果にもなりかねまい。
 接続を切り、カヲルは立ち上がった。
「・・・あまり、突っ込まない方がいいんじゃないかな」
 後ろでお茶を入れながら、加持が言う。
「・・・・・ええ、多分」
 ならどうして、とも言いづらかった。ことは彼自身の存在に関わるのだ。だから、口に出したのは別のことだった。
「明日からは期末試験だろう。補習授業、なんてことにならないようにな」

 職員用の通用口から出たカヲルは、月光と沈黙の中に沈んでいる校庭のなかに人影を見つけ、思わず立ち止まった。
 バスケットゴールの前で、ボールを抱えて佇んでいる。淡いブルーのTシャツの上にはおった白いパーカーが、淡い月光を撥ねていた
 ――――――冬月 タカミ。
 確かめるまでもないことだった。
 カヲルが3年生としては小柄なのか、彼が1年生としては発育がいいのか、体格的にも殆ど差異がない。
 しばらくゴールを見つめていたが、数回のドリブルの後、シュート体勢に入る。
 肩に力が入り過ぎている。あれでは・・・・。
 ばん!と不粋な音がして、ボールが跳ね返る。残念そうな声をあげて、彼が着地した。跳ね返ったボールは、カヲルの立っている方へ飛んできた。
「あ、すみません」
 カヲルがボールを拾い上げると、走ってきたタカミはぺこりと一礼した。
「・・・・こんな遅くまで、練習かい? 明日からテストだろう」
 自分のことを完全に棚に上げて、カヲルは言った。
「はは・・・いまさらじたばたしたってしょうがないでしょ? それより、気分転換にクラスマッチの練習でもしとこうかと思って」
 テスト最終日の午後は、クラスマッチだ。種目としてはバスケとサッカー、あとバレーがあった筈だが、自分がどの種目にあたっていたか思い出そうとして、カヲルはやめた。
「スポーツって殆どしたことがなくって。みんなの足引っ張りたくないですしね」
 そう言って、笑う。
 カヲルはタカミにボールを返そうとして、ふとゴールを見た。
 次の瞬間、思いもかけない言葉が漏れていた。
「・・・肩に力が入り過ぎてるよ。その割に最後の一瞬で手首がブレてるから、コントロールが定まらないんだ」
 そのまま、ドリブルでゴールへ向かって走り出す。長時間の座り仕事のあとで、僅かに身体が軋んだが、ゴール下までにそんなものは消えていた。
 ボールは軽い音を立ててボードで跳ね、リングをすとんと通過した。
「へえ、すごいな。先輩、バスケ部ですか?」
 バウンドを続けているボールを捉え、素直な称賛の眼差しを向けるタカミ。
「いや。それどころかバスケットボールなんて触るのは久しぶりさ。いい格好して、外したらどうしようかと思ったよ。・・・・どうして、僕を先輩と?」
「知らない者はいませんよ。3-Aの渚先輩でしょう。お噂は予々かねがね
 そう言うと少し悪戯っぽい笑みをして、ゴールを見る。
「こうでしたっけ・・・?」
 その場から踏み切り、シュートする。今度は綺麗な弧を描き、リングにすら掠らず入った。
「あ、はいった♪」
 そして、心底うれしそうに微笑む。
「バスケ部じゃないんなら、本番であたっちゃう可能性だってあるんですよね。はは、できればあたりたくないなぁ、勝ち目ないもの」
「早く帰った方がいい。もう遅いし」
「そうですね。ありがとうございました」
 礼を言われるようなことはなにもしてないよ、と言いかけて、言えずに口を噤む。どうしてこんなに素直に笑えるのだろう?
「じゃ、さよなら。先輩も気をつけて」
 ぺこりと一礼して、東門の方へ走っていく。
 胸の裡でざわめく、不審と違和感と、あえかな既視感。カヲルは暫く立ち尽くしてその正体を記憶の中から捜していたが、ゆっくりと歩き出した。

 タカミが部屋を抜け出してバスケの練習なぞに赴いていることなど、自室に引っ込んでしまった青葉が知る由もない。
 問題の作成がひと区切りつくと、ふと棚の上の写真立てに目がいく。
 思いもしなかった。またあの部屋を使うことがあるなんて。
 栗色がかった髪の、水色のワンピースの女性。海を背景に、ワンピースと同色の帽子が風に飛ばされないよう押えながら、彼女は微笑んでいる―――――――――。

「位置確認システムの作動時に若干の誤差が生じます。誤差・・・・・というより、他の情報が一緒に表示されているようですね。複数の反応が出るんです。原因を調査中ですが、おそらくは・・・・・・・・」
 伊吹マヤはモニター画面に視線を固定したまま手が止まっている主任を振り返った。
「・・・・・先輩?」
「・・・・・ああ、ごめんなさい」
 赤木リツコは何事もなかったようにまたキイを叩き始めた。しかし、マヤの怪訝そうな表情は変わらない。それに気がついたのか、リツコはその手を休めることもなく問うた。
「・・・・・・どうしたの?」
「先輩こそ、どうかなさったんですか?」
「・・・・何が?」
「何が、じゃありませんよ。最近、先輩疲れがたまってらっしゃるんじゃありませんか?何か変ですよ。・・・・・その、例の、起動実験から」
 最後は言いにくそうに口ごもり、結局目を伏せてしまう。
 淡々とキイを叩きつづけるリツコ。その視線はモニター上を忙しく往来しており、表情を読み取るのは困難だった。
「そういうあなたこそ、元気ないんじゃない? ・・・あなた、最初っから否定的だったしね、この実験。その上にあんなことが起きちゃったから、無理ないけど」
 表示が止まっているディスプレイを見つめ、マヤは言葉を喉から押し出すように言った。
「・・・・・先輩を尊敬してますし、自分の仕事はします。でも・・・・納得は出来ません」
「潔癖症は、つらいわよ」
「・・・・・・コーヒー、いれてきます」
 マヤは席を立った。その足音がドアの向こうへ消えてしまうと、リツコはそのドアを一瞥し、ふっと息をついた。

 ―――――――一番納得できていないのは私なのよ、と言っても、あなたは信じてくれないでしょうね。