第参話 Moonlight Waltz


Senryu-tei Syunsyo’s Novel Room(Novel-Ⅲ)
Evangelion SS「All’s right with the world」

 暗い部屋の中で、ディスプレイの明かりだけが浮かび上がっている。
 冬月タカミは黙々と操作パネルを叩き続けていた。
 時折の警告音にふと手を止めるが、何もないとわかるとまたキィを叩き続ける。その作業に一段落ついたらしく、彼はふっと一息ついてパソコンを終了させた。
 悪童が悪戯いたずらの仕掛けを作り終えたときのような、無邪気な笑みがそこにある。
 しかし、それは一瞬。笑みはどこか困ったような、切なげな翳りに覆われた。
 そして・・・・・歳不相応な程に枯れた声で呟くのだ。

「・・・・・・・ごめんね」

 悲喜交々こもごもの期末試験戦争は訳も分からないままに過ぎ去り、最終日の午後、皆にはもはやおまけでしかないクラスマッチに突入していた。
「はぁ、ダルいわ。なんでこんなもんでないかんのや」
「いいっこなし。余計疲れるだろ」
 グラウンドの片隅でもはや生ゴミ状態でへばっているトウジとケンスケの眼前には、急拵えのバスケットコート。次は彼らの試合だったが、テストが終わったという安心感と噴き出した疲労感は、試合前から彼らの戦意をゼロに限りなく近づけていた。
 さりとて・・・世の中要領で渡っているようなケンスケはともかく、トウジにはさっさと負けて無罪放免願うという芸当もできないのである。まこと不器用ではあるが、そんなまっすぐなところがヒカリにとっては例えようもない美徳に見えるのだから、世の中は広いというしかない。
「あ、誰かと思ったら転校生やないか」
 トウジが今気づいたように顔を上げた。
「なんだトウジ、あの黄色い声に今まで気がつかなかった訳? オレなんかさっきからもう頭痛くなりそうだよ」
 一年同士の対戦。1-Aの女子から声援が飛ぶのはまあ当然としても、対戦相手の組の女子からもほとんど金切り声に近いような声援が送られている。その対象は、言うまでもなく転校生・・・・冬月タカミであった。
 先刻から、得点の半分近くをひとりで叩き出している。かといって独善的でもなく、残り半分の得点の大半のラストパスを担ってもいた。
「よく走るし、カンもいいみたいだし、こりゃバスケ部が黙ってないだろうなあ・・・・あ、また入れた」
「それにしても妙なもんやな。あれだけそっくりなわりに、ああしとると確かに別人や」
「・・・・・・・よく、笑うんだよ」
 試合をじっと注視していたシンジが、ふと言った。会話に途中から、それも自分から加わることの少ないシンジの突然の発言に、トウジもケンスケも一寸驚いたようにシンジを見た。
「カヲル君が笑わない訳じゃないけど・・・カヲル君は何かこう・・・・うん、笑ってても何か悲しそうに笑うんだ・・・・・・何故だか、知らないけど」
 沈黙の後、顔を見合わせて、暫時。
「・・・・シンジ」
 トウジの重々しい声にふと我にかえるシンジ。トウジも半身逃げにかかっており、ケンスケに至ってはすでに後すざりを始めていた。
「え、何?」
「前から思うとったんやが、お前女には淡泊な癖に、妙に渚には拘るんやな。・・・・・いや、他人の趣味に嘴突っ込むほどワイらも野暮やないが、ワイらはそっちの趣味はないからな」
「・・・・・は?」
 一瞬、きょとんとするシンジ。一瞬の後、耳まで真っ赤になって叫ぶ。
「そっ・・・・そんなんじゃないよっっっっ!!」
 このとき、隣のコートで試合していたアスカがこの大声にタイミングをはずされてシュートを失敗し、後からシンジが吊し上げられた・・・・というのは、この際余談である。

 窓の外の活気に満ちあふれた喧騒をよそに、カヲルは保健室の端末から冬月タカミのデータを検索していた。
 もし、タカミが彼や加持が考えている通りの者だったとしたら。
 しかし、それはありえないのだ。絶対に。
 「カヲル」が存在する限りは・・・・。
 データをメモリに落とし、端末の電源を落としてベッドに滑り込む。有り体に言えば、クラスマッチ等というものが面倒くさくて保健室に転がり込んだのであるが、ふと思い立って身体データを引き出してみたのだ。
 たとえば血液型のような、言葉で表記出来るようなデータに関しては、決め手になるようなものはなかった。だが、否定する材料もなかった。
 疲れがたまっているのも確かなのだ。ここ数日、あまりまともな睡眠はとっていない・・・・。
 保健室の白い天井を漫然と見つめて、ふと吐息する。

 これは恐怖なのか?
 己の存在がゆらぐことへの?

 タカミ自身に害意がないのは分かりきっている。会ったのは一度きり、先日の夜の校庭が今のところ最初で最後だが、それは確信できた。だが・・・・・。
 思考は、騒々しい物音に中断された。
「ほんっとにトロくさいんだから、この莫迦シンジ!」
「せんせえ、怪我人ですう!!」
 聞いたような声に、カヲルは身を起こしてカーテンを開けた。
「先生なら不在だよ。一体何の・・・・シンジ君!?」
 いちいち聞くよりも、一目見れば何が起こったかは明らかだった。
 トウジに背負われたシンジは完全に目を回していた。何のかの言ってちゃんとついてきているアスカと、レイ。そして・・・。
「・・・・君もか」
 冬月タカミ。擦りむいた膝から、血が流れている。
「大体、味方同志で衝突して、相手チームまで巻き込むなんて間抜け過ぎよ!」
「しゃぁないやろ、わざとやないわい!」
「わざとでやられてたまりますか!ほらっ莫迦シンジ、さっさと目ぇ覚ましなさい!!」
 いきり立つアスカを宥めてシンジを寝かせ、レイに冷湿布の用意を頼み、保健教諭が部屋を出る際にことづけた連絡先へ内線をかける。カヲルはそれだけのことを済ませてしまってから、ようやく心配そうな顔で立ち尽くしている被害者の方へ向いた。
「君もだ、座ったらどうだい?ずいぶん派手に擦りむいたね」
「あ、はい・・・あの、大丈夫なんですか、先輩・・・」
「先生には連絡したから、じきに来るよ。頭を打ってるみたいだから、それまで僕たちの判断で動かないほうがいい」
 カヲルがそう言っているさきから、三人がかわるがわる枕元で呼びかけている。特にアスカ君、その音量は頭部打撲直後の人間には酷だよ・・・と忠告しようかと思ったが、あの剣幕に逆らうほどカヲルも無謀ではない。
「あーやっぱりコブになるわね」
 レイが目を回したままのシンジの後頭部に手を触れて嘆息した。
「レイ、消毒キットがそこの後ろの棚の下から2番目に入ってるから、取ってくれないか」
「あ、うん・・・大丈夫?・・・ええと、冬月君・・・」
 さすがにレイが口ごもる。まさかこんな形で関わることになるとも思わず、当惑を懸命に押し隠そうとしているのだが、ぎごちなくなるのは致し方ないことであった。
 タカミの擦過傷はここへ来る前に一応洗い流したらしく、砂粒らしいものはなかった。レイから消毒キットを受け取り、流れている血をガーゼで拭ってから処置をする。カヲルの表情は、レイのそれからすれば冷静そのものだった。
「えらいすまんかったなぁ・・・」
 頭をかいて、トウジが柄にもなく恐縮している。原因を作っておきながら自分一人無傷というので具合が悪いのだろう。
「そんな、一寸擦りむいただけですから。自分できますよ」
 かえって困ったように俯くタカミの顔色が、こころもち青い。先刻まではそんなふうはなかった。レイ自身も決して好きではない匂いに、はっとしたようにカヲルを見る。
 ・・・匂い?消毒薬の匂いの所為・・・・?
「・・・・」
 レイの反応に自分がどんな表情をしていたか気づいたのだろう。浮かべた笑みには無理があった。
「・・・はは・・・消毒剤の匂いって苦手で・・・先輩、本当に自分で出来ますから・・・」
「あら、傷の処置くらいで遠慮するものじゃないわ。あなた被害者なんだから」
 明快に言ってのけたのは無論と言うか、アスカだった。別に、アスカが処置をするわけではないのだが。
 その時、勢いよく扉が引き開けられる。飛び込んできたのはミサトだった。後ろから保健教諭が入ってくる。
「シンジ君、意識ないんだって?」
 ―――――――結局、保健教諭が血圧を計っているうちにシンジは目を覚まし、一同はほっと胸を撫で下ろした。それでも一応検査のために病院へ行くことになり、ミサトがついていくということで後の者はグラウンドへ追い返される。
 そして、シンジが病院へ運ばれ、子供たちがグラウンドへ行った後、カヲルの姿もまた保健室から消えていた。

「・・・・あんたたち」
 病室を出たミサトは、そのすぐ外の廊下に今日の保健室の面々プラスαが雁首を並べているのを見て吐息した。プラスαとは言うまでもなく、ヒカリとケンスケである。ただし、カヲルの姿が欠けていた。
「競技に戻りなさいっつったでしょ!?」
「いや、センセ、早速負けてしもうて」
 頭をかきかき、トウジが弁明する。しかしこれは嘘ではない。
「気持ちはわかるけど・・・・仕方ないわねえ。シンジ君なら大丈夫だそうよ。CTや脳波検査の結果も特に異常なしと出たわ。一応大事を取って今晩だけは泊まるけど、明日には退院できるって。面会の制限はされてなけど、くれぐれも騒がないようにね」
 抑え役としての手腕を期待してか、ヒカリに視線を送って出ていくミサト。そしてその目が、ふと列の最後にいた冬月タカミに止まる。
 目が合う。
 にっこりと笑い、一礼して病室に入っていく。ミサトは思わず立ち止まってそれを見送ってしまった。
 ミサト自身はカヲルと直接の面識があるわけでもなく、タカミと会うのも今日が初めてだ。しかし、ふたりの相違点について、ミサトはシンジと同じような感想を抱いていた。
「・・・・どうしたらあそこまで綺麗に笑えるのかしらね」
 皮肉とも嘆息ともつかない呟きをこぼして身を翻したとき、廊下の向こうから見慣れた人影がこちらへやってくるのが見えた。
「リツコぉ? どうしたの、誰かの見舞い?」
 ここが病院でなければ手を振って声を高くする所だが、さすがに足早に近づいてから声をかける。
「学校に連絡したらこっちだって聞いたから。・・・ミサト、またあなた研究所へ連絡したんですって?」
「あったりまえでしょう!! 一晩とはいえ入院なのよ。・・・あ、そういうことか」
「そういうこと。・・・・・・・例によって例の如く、今は連絡取れないのよ。事がコトだし、一応、代理でね」
奇態ケッタイな上司を持つと苦労するわね」
「まあね。で、シンジ君は?」
 嫌味にすらなってないようだ。友人の渋面を見損ねたミサトはあきらめて話を戻す。
「意識はすぐに回復したし、一通り検査したけど異常なし。ま、今日の入院は大事をとって一晩様子を見るってことらしいわ。一応頭打ってるからね」
「そう、よかったわ・・・・」
「少し、話していく?今ちょっと賑やかだけど」
 白いドアを指して、ミサトが言った。
「やめておくわ。シンジ君だって変に思うでしょうし」
「じゃ、お茶してかない? いい店、見つけたんだけど」
「あら珍しい。ミサトのお誘いがアルコールじゃなくてお茶?」
「失礼ねえ。それじゃ私がとんでもない飲んべえみたいじゃない」
「ミサト、日本語は正しく使いなさいね」
「・・・・相変わらず、冷静な口ぶりで酷いこと言うわね」
 苦笑しつつも引き下がる。へらず口では余人にひけをとるミサトではないが、相手がほかならぬリツコでは分が悪い。

「ふうん、そういうことか」
 リツコがやっぱりね、という顔でメニューから視線を上げた。
「ま、細かいことは気にしないで・・・・」
「加持君?」
「あはは・・・・・・」
 内装がそっくりそのままアンティークのような店構え。昼間は軽食と喫茶だが夜になるとバーを兼ねるのだ。おそらく、最初に来た時は・・・・・・
「ま、いいけどね」
「リツコのそういうとこ、助かるわ♪ ここのケーキセット、おいしいらしいわよ」
 すかさず話をそらす。
 注文を済ませてしまうと、あとは取り留めの無い世間話となる。が、ミサトは旧友の様子がいつもと異なりややぼんやりしていることに気がついていた。
「そういやあんたんとこの副所長、結婚してたのね。意外だわ」
「随分昔の話よ・・・研究所に来たときはもう離婚わかれた後だったって聞いてるしね。娘さんが亡くなってから、もう何年になるかしら・・・」
「は? 娘?」
 ミサトに問い返され、はっとして口を噤む。
「娘さんもいたわけ? 私は、ついこの間転入してきた男の子の事かと思ってたんだけど。ええと、タカミくんとかいう」
「・・・・・ああ、そういえばミサト達の学校に行ってるんだったわね」
「あれ?知ってるの」
「一応ね。・・・・いい子でしょう」
「ん、そうなんだけど・・・・・」
 どうもいまいち得体が知れないのよね、などとは咄嗟に言えないほど、その時のリツコの笑みは柔らかかった。そのくせどこかさみしげな・・・・。

「あいつ、また夜遊びか」
 青葉シゲルは無人の部屋を見て嘆息した。
 夕食のときはちゃんと家にいるのだが、食後青葉が自室に引っ込んでしまった後、どうやらちょくちょくでかけているらしいのだ。
 朝にはちゃんと戻ってきていて、しかも朝食の用意までさらりと済ませてしまうのでは、お叱言もしにくい。
 自室に戻って仕事の続きにかかろうとして、ふと写真立てに目がいく。
 先日のことだ。何の用だったか、タカミが彼を呼びにこの部屋へ入ったとき、写真立てに目を止めたタカミは、写真の人物を知らなかった。
 写真の人物・・・・冬月ミズカ、3年前に事故死した冬月教授の娘である。
『・・・・知らないのか?』
 タカミは何の躊躇もなく頷いた。そして、心底嬉しそうに言う。
『ふうん・・・僕に、姉さんがいたんですね』
 何と返答して良いものやら、青葉は思わず視線を彷徨わせた。
『・・・・悪い、知らされてないって、知らなくて・・・』
『やだなぁ、そんなに困った顔しないでくださいよ。養父とはほとんど逢ったこともないって言ったじゃないですか』
『・・・・あ、ああ・・・でも・・・』
 いくら何でも、ひどすぎはしないか。恩師はとても子ども好きとは言えないが、仮にも養子にするなら、それなりの扱いがあっていいのではないか・・・・?
 ミズカも実娘とはいえ、成人するまでほとんど逢ったこともなかったという。そんなミズカにさえ、連絡を取り合うようになってからは不器用ながらいろいろと気を遣っていた。青葉もその余慶を蒙って、ミズカ亡き今、一人では広すぎる程のマンション住まいが許されているのだ。

 ――――――――一体・・・・?